663. 種の限界という現実

「ルシファー様、今日は祭りを一時中断して仕切り直しませんか」


 治癒の使い過ぎで頭痛に襲われる側近が、ふらふらと歩み寄った。かなりつらいのだろう。普段は涼し気な顔をしている男が、青ざめていた。汗で首に貼りついた銀髪を、慣れた所作で上に結い上げる。片膝をつくベールを手招きして、隣に座るよう指示した。


 少し迷ったものの、大木の幹に寄り掛かる形で腰掛ける。木陰の肌寒さを感じる場所で、地脈から吸い上げる魔力が体内に満ちていく。中庭に植えられた2本の巨木は、地脈と根が繋がったパワースポットだった。回復に最適な場所に座ったルシファーは、膝の上に抱いたままのリリスの目元へ手を当てる。


 触れた手から整流した魔力を流した。「手当てする」という単語が示すように、手の温もりを肌に当てることは治療の一環として効果が認められる。親和性の高い魔力で直接リリスの中へ流し込むルシファーは、背に広げた4枚の翼をばさりと揺らした。


「……落ち着くまで祭りは延期だ」


 結論を出して、溜め息をついた。リリスの側近達は今回よく働いた。ベルゼビュートと共に今も働く彼女達は、生き生きとしている。魔王妃を支える肩書に合わせて知識を詰め込み、礼儀作法を学んで実践を積んだ。治癒や結界などの補助、直接の戦闘能力、執務補佐、様々な方面で優秀と認められた。


 髪飾りが揺れる長い髪を無造作にお団子にしたルーシアが額の汗を拭い、隣でルーサルカが膝をついて子供達を抱き上げる。少し先でシトリーが人々に温かいお茶を配り、レライエと翡翠竜も擦り傷などを治癒しながら走り回る。


 ぼんやりと状況を眺めながら、ルシファーの口からぽつりと不吉な言葉が漏れた。


「種の限界、か」


 ベールは無言で肯定も否定もしない。しかし聞いていると示すように、ひとつ大きな息を吐いた。


 種の限界は――理論上の話ではない。8万年を越える長い時間を生きた彼らは、その現実を目にしてきた。力に昂ぶり智を誇る、さまざまな種族が滅びた。魔力や腕力自慢の種族が突然他種族に攻撃的になり、今まで周囲と築き上げた関係を台無しにする。それが兆候だった。


 敵だらけになり、徐々に生殖能力が衰える。他種族へ嫁いだ娘達が産むのは、嫁ぎ先の種族ばかりとなり……気づけば少数となった種族は、繁栄に必要な最低数を割り込んだ。そうなれば手を打っても保護しても滅びてしまう。智を誇った種族もまったく同じ道をたどった。


 ドラゴン種も一度滅亡している。しかし神龍に嫁いだ娘の子孫が、数世代を経て先祖返りのドラゴンを産んだ。それを機に他種族からもドラゴンが産まれ、繁殖して今に至る。その過程を経た種族はルシファーが把握するだけで12種族に及んでいた。


 短命種も長命種も関係なく、突然訪れる現象を『種の限界』と呼んで区別している。


 今回の騒動を見れば、魔王預かりとなった時点で再戦の機会は約束されていた。にもかかわらず、仕掛けたのは神龍の若者だ。ドラゴンと戦うまで待てない攻撃性の高さ、魔王に逆らうことの危険を把握できない短絡的な言動、すべてが長寿の賢者と呼ばれる神龍族らしからぬ振る舞いだった。


「……あれも神龍が発端だったな」


 ふと思い出したのは、リリスが死にかけた騒動の切っ掛けだった。数千年前から人族に技術を流し、ゾンビを作らせキマイラを生み出した。愚かな犯罪者の中心は、タカミヤ家の老公爵の弟だ。亡びの兆候はその頃から現れていたのだろう。


「もう手遅れですね」


 転移で戻ってきたアスタロトが、口を挟む。少し前について少女達を労い、侍女や侍従に指示を出した吸血鬼王は、その地獄耳で話を聞いていたらしい。超音波まで操る彼らにしたら、聞こえすぎる耳は日常的に使用する能力のひとつに過ぎなかった。聞いたというより、聞こえてしまったのだ。


「竜はまだ平気でしょう」


 ベールが口を挟む。大公ルキフェルに兆候はなく、翡翠竜アムドゥスキアスも目覚めた。まだ種は活性化している。だが神龍は徐々に出生率も落ちていた。


「母なる魔の森が望むのなら、致し方あるまい」


 まだ起きないリリスの黒髪を指先で梳きながら、ルシファーは溜め息をついた。

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