554. 決断した魔王の矜持
※残酷表現があります。
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「しね! 化け物め」
突き出された毒付きの槍を、ひらりと交わしたベルゼビュートが槍の真ん中を叩き折る。そのまま相手の懐に飛び込み、顔に膝蹴りを食らわして離脱した。一度に殺すなんてもったいないこと、出来るわけがない。
エルフや精霊にもよく言い聞かせてある。魔獣達はもっと敏感に魔王の意図を理解していた。本能的な嗅覚が鋭い彼らも、一撃加えては離れる。苦しみ痛みにもがく獲物を
必死に剣を振って住民を逃がそうとする騎士を倒し、我先にと逃げ出した兵士の足を切り、向かってきた冒険者の手足をもいだ。魔術師の杖を折り、詠唱する喉を潰し、魔族は返り血に濡れた手足を拭う。そこに罪悪感はなかった。
頂点たる王が許可した、正当な報復行為なのだ。
ずっと我慢してきた。一族の子を攫われ、同族を傷つけられ、弱者を踏みにじられる。上層部が報復に動いたとしても、魔族の傷ついた矜持は悲鳴を上げた。まだ足りぬ、まだ届かぬ、それでは手ぬるいと。
最下辺の弱者である人族は、最強の魔王に似通った外見を持つ。美しさにおいて比類なき魔王のように、鱗も棘もない肌や手足を与えられた。言葉を話し、対となる勇者を生み出す種族――ただそれだけ。貢献のひとつもなく、魔族を傷つける人族への憎悪は強かった。
魔王を敬愛するほどに、裏返しの憎しみが人族へ向けられる。そしてついに、魔王は決断なされた。魔王妃を攫われた時以上の報復は、魔族のほぼすべての種族が待ち望んだ時間だ。
「あたくしはね、人族が大嫌いなの」
屈強な男の耳を削ぎ、手の指を1本ずつ落とす。舞うように戦うベルゼビュートの軽やかな動きは、人族にとって死の舞だった。掴んでいられなくなった武器を落とせば、攻撃の手が止む。
「嫌だわ、武器もない男に興味はないのよ」
飽きたと肩を竦めて呟き、豊満な肉体を見せつける美女は踵を返す。背を見せた彼女に一矢報いようとした男だが、その前に魔獣が群がった。狼や熊だけでなく、角兎や狂鹿と呼ばれる種族まで集まってくる。
「愚か者の最期に相応しいじゃない。一息まで苦しんでしねばいい」
吐き捨てたベルゼビュートが立ち去る背後から悲鳴が聞こえた。獣たちは上手に言いつけを守っている。喉を噛み切る親切な個体はいなかった。指の先、腕の内側、腹部……様々な部分を食い破りながらも、絶命させずに長らえさせる。瞳を抉らないのは、最後の最後まで絶望に染めて光を奪うため。
多くの仲間を殺された魔獣の怒りに満ちた行動に、都の人々は逃げ惑った。塀の外へ続く門は開け放たれ、その先はさらに多くの魔獣やドラゴンが待ち受ける地獄だ。
血路を開くと言って外へ出た冒険者の死体は、わずかな肉片と血溜まりのみ。兵も民も踏み出す勇気はなく、後ろから押しかけた群衆も怯えて足を止めた。塀の上にある物見台に上った騎士が、鳳凰の爪に引っかけられて地面へ運ばれる。
「う、うわぁ!! やめろ」
叫んで短剣を振り回す男の攻撃を避けながら、アラエルが摘まんだのは腰のベルトだった。振り回して引き剥がした革は丁寧に
「……リザードマンの、戦士か」
死を
「良い、そなたらの怒りも憎しみも理解する。余の命令だ、
ピヨを引き寄せたアラエルの隣に舞い降りた魔王の許しに、リザードマンの目が潤んだ。戦えぬ敵を
これだけ魔族を苦しめた人族を、擁護した過去の決断が悔やまれる。魔王たるもの、悔いを残す決断は許されない。もっと早く決断すればよかった。冷たい表情を歪めたルシファーの頬を、リリスは両手で包んだ。
「パパは苦しいの?」
「違うな、ただ遅かった決断が悔しいだけだ」
多くの魔族が苦しんだのに、それでも愚かな王の決断を支持してくれた。そんな彼らの報復を見れば、傷つけられた彼らの恨みの深さが見て取れる。
触れるリリスの手は、子供特有の高い体温を伝えてきた。
「遅くないし、早くない。パパは正しいよ」
誰も与えられない言葉を、誰より大切な子供が口にした。ルシファーの表情が強張り、すぐに穏やかに微笑みを浮かべる。
「そうか?」
「そうだよ、リリスは知ってるもん」
子供故のまっすぐな言葉を受け取り、ルシファーは銀の瞳で目の前の惨劇を見つめる。己の決断がもたらした結果を、どれほど酷い景色であろうと目を逸らさないことが、魔王としての覚悟であり矜持だった。
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