644. 1枚足りない……からのやり直し

「1002枚、1003枚、1004枚……あれ? 1枚足りない」


 どこぞの皿屋敷のお化けの発言じゃないかと顔をしかめるアベルの前で、ルシファーががくりと肩を落とした。束を作って手作業で数えたが、どうやら足りないらしい。


「1005枚は確かですか」


「それは間違いない。何しろアスタロトのお達し……じゃなくて通知だ」


 完全に尻に敷かれた発言をするルシファーは、溜め息をついてもう一度頭から数えていく。隣でリリスが押印し、後ろでイポスが書類を乾かしていた。魔力を使うと消える改ざん防止のインクや朱肉のせいで、すべて手作業なのだ。


 魔法が発達したからこそ、起きた弊害だった。過去に魔王の印章や署名を複製して書類を乱発する事件があり、対処法のひとつとして作られたインクは、魔力を流すと透明になる。間違いを直すことが出来る利点がある反面、ページを捲ったり魔力で浮かせて運搬する方法が使えなくなる欠点があった。


 書類に目を通したルシファーが署名を施し、作業用の濃紺ワンピースで押印するリリス、すぐ脇に控えたヤンがイポスへ運んでテーブルへ並べる。イポスが置いた吸い取り紙で余分なインクや朱肉を吸った後、ピヨが吸い取り紙を回収した。


 完全に手分け作業で、どこかの工場のようだ。そんな中、処理を任された1005枚が終わったら、1枚足りないという。終わった書類の受け取りに足を運んだアベルは、もう一度数え始めたルシファーを手伝うため手を伸ばした。


 100枚ずつ束にしていく。見ると手が空いたイポス達も数え始めた。側近少女達が居れば早かったのだが、彼女らは別の仕事を割り当てられて別室だった。残念ながら、この場にいる4人と2匹で対処するしかない。


「998枚、999枚……1003枚……あれ?」


 また1枚減った。青ざめたルシファーが机の周囲を探すが、足元に落ちている書類はない。


「ど……どうしよう」


「もう一度だけ数えましょう」


 アベルの提案に、ルシファーは大きく頷く。大勢で数えるからいけないのだと、2人できっちり数え直した。30分程真剣に、1枚ずつ数えた結果……なぜか増えた。


「1004枚、1005枚……1006……ええ?!」


 最終的に1枚多いが、足りないよりマシだ。そう結論付けたルシファーにより、書類数えは終わった。もうそのまま提出し、少なくても多くても後で対応しようと言い切ったルシファーは、机に突っ伏している。真っ白な髪が机に広がり、赤い朱肉に汚れたリリスの手が伸ばされた。


 幼女の頃に似た仕草で髪を撫でたら……まるで殺人現場のような状況になった。手についた朱肉がべたべたと髪を汚し、色が赤いため血のように見える。困惑したリリスが突然ルシファーに浄化魔法をかけた。


「リ、リリス?」


 びっくりして飛び起きたルシファーが青ざめる。テーブルの上に積んだままの書類にも……浄化が適用されてしまった。つまり、一部の書類は署名と押印が消えたはず。


「どうしたの?」


 意味が分からず小首をかしげるリリスに悪気はない。叱れず溜め息を飲み込んだルシファーは、恐る恐る手を伸ばした。目の前の書類を数枚めくり、その下も順番に確認する。隣の束も眺めた後、震える手で捲った。


「き……消えてる」


 100枚ずつの束10個のうち、手前の列5つはほぼ全滅。かろうじて陰になった束が生き残っている状況だった。すぐに取り掛かっても2時間以上は確実に食われる。窓の外は明るく、約束の刻限は迫っていた。


「ごめんね、パパ。消えちゃった?」


 幼い頃と同じ仕草で「パパ」と呼んだリリスの黒髪を撫で接吻け、ルシファーは覚悟を決めた。


「……魔王、様?」


「大至急やり直すから、戦闘できる種族は集まって全員戦闘体勢にて待機。中庭に転移禁止魔法陣を設置するから、全力で大公4人の入城を阻止せよ!! これは魔王権限による緊急入城制限である」


 時計を睨みつけたルシファーの命令に、ヤンはピヨを咥えて窓から飛び出した。2階だろうがフェンリルにとって支障はない。ピヨも普段からアラエルの背に乗るため、高さに対する恐怖心はなかった。命令を徹底するため走り回る侍従のコボルトを見送り、城門はヤンと鳳凰ペアに任せる。


「リリスも責任もって手伝う」


「私も微力ながらお手伝いいたします」


「頼む」


 リリスとイポスの申し出に、ルシファーは大きく頷いた。それから困惑顔でおろおろしているアベルに、本心からの警告をひとつ。


「アベル、無事な書類をより分けて運べ。それから剣の用意をしておけよ……最悪、死ぬぞ」


 嫌な予告をされた元勇者は、大げさだと笑い飛ばせず……アスタロトやルキフェルの恐怖を思い出して肩を抱く。震える元勇者がページを捲り、ルシファーが署名、リリスが押印して、後ろでイポスが乾かす。先ほどと同じ作業を、先ほどの2倍速で頑張る側近少女4人が助太刀するまで――あと1時間。


 アスタロトが約束した翌日のお昼過ぎまで――タイムリミットは3時間を切っていた。

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