643. 遊びは手間を掛けて準備

 派手に散らかしても片付けが楽で、他の貴族から苦情が出ない場所……魔王城の裏に当たるアスタロトの領地内にある通称『沈黙の森』と呼ばれる空き地、または神獣が多く住まう隠れ里の洞窟の地下にあるベールの居城、今回はベールの城へ集まることで一致した。


 洞窟内の地下空間といっても、その広さは驚くべき規模だ。巨大な独立峰の中がそっくり空洞になっており、中に城が浮いていた。魔力を使って浮遊しているが、動力源は城の主ベールではなく城の下で眠り続ける巨大な霊亀れいきだ。地脈から吸い上げた魔力を上空へ放ち、空洞の中の城を安定して支え続けていた。


 なぜここで眠るのか。当事者が起きないので不明だが、別に城が落ちても問題ないベールは放置してきた。独立峰である大きな山の外殻が空洞内に落ちない理由も、霊亀が放つ魔力だと思われる。


「久しぶりですが……まだ起きないのですか」


「2万年前に一度目を開きましたが、寝返りのように体を揺すっただけでした」


 古くから霊亀を知るアスタロトとベールのやり取りの隣で、ルキフェルは興味津々に城の下を眺める。羽を広げて霊亀の甲羅に下りて、不思議そうに撫でまわした。


「ルキフェル、始めますよ」


「わかった」


 ふわりと舞い上がるルキフェルの背を、細く開いた霊亀の黒い瞳が見上げ……すぐに弛んだ瞼を下した。がらんとした城の大広間には複数の檻が並び、中に獲物が犇めき合っている。


「だせっ!」


「貴様ら、ただで済むと思うなよ」


「裁判はどうした」


 喚き散らす獲物は時間が経ったことで、折られた心が修復されたらしい。こういった逞しさは必要だ。そうでなくては……楽しめないでしょう?


 笑顔でアスタロトが「うるさいですよ」と切り捨てる。本心で思ってなさそうな笑顔は、仮面のように色や表情を変えることはない。隣で、ベルゼビュートは無言だった。真剣に剣の手入れを行っている。丁寧に、見せつける様に刃を研ぐ姿は鬼気迫っていた。


「鬼婆……いえ、失礼」


 ぎぎぎ、そんな音が聞こえそうなベルゼビュートの動きに、さすがのアスタロトも口を噤んだ。昔読んだ本にあった、夜中に包丁を研ぐ老婆の話を思い出したのだが……禁句だった。これは危険な単語なので、今後とも封印しておこう。そんなやり取りを横目に、ルキフェルとベールも頷きあった。


 危険の認識は互いに共有しておけば、今後の被害が減らせる。


「裁判など不要ですよ。そもそも裁判は罪の有無を判断する場所であり、あなた方のように有罪確定の者が上がれる舞台ではありません。もし裁判を行っても、我々大公4人が判決を下すので、どちらにしろ有罪ですから」


 大公が全員一致で評決を下せば、それは魔王の決断と同等なのだ。裁判は無用と言い切られ、罪人達は震えながら檻の中で後退る。魔力に敏感なドラゴンは怯えて尻尾を抱え、立場を弁えない元侯爵令嬢や放逐された女達が騒いだ。


「うるさいわね。最初にその口から塞いであげますわ」


 包丁ならぬ剣の手入れを終えたベルゼビュートが、刃の状態を確認しながら振り抜いた。ひゅっと走った風が剣の軌道を辿るように、騒ぐ女の頬を滑る。血が伝う感触に腰を抜かした彼女を庇う男はいない。誰もが少しでも遠くへ逃げようと身を縮めて丸まった。


 妻と呼んでも、そこに愛情はない。薄っぺらい絆に「お似合いよ」と吐き捨てたベルゼビュートが、別の檻の中で気絶したままの人族を覗き込む。


「ねえ、これ……生きてるの?」


 せっかくの獲物が死んでいるのは嫌よ。そうぼやく彼女に、ルキフェルが魔法陣をひとつ呼び出す。人族の魔術師が転がる檻の下に設置した。肩を竦めて着火役を譲る青年に、ピンクの巻毛を弄りながらベルゼビュートが魔力を流す。


 ゆらりと蒼炎が立ち上り、気絶していられなくなった男達が飛び起きた。悲鳴を上げて熱や炎から逃げようと檻をよじ登る。そこで炎を魔法陣ごと消して、ルキフェルは「生きてたね」と笑った。ベールの獲物を疑われたのが少し、残りは人族が嫌いという単純な理由による嫌がらせだった。


「準備ができました」


 ベルゼビュートとルキフェルが遊んでいる間に、大広間の床一杯に光る魔法陣が広がった。読み解くまでもなく、この場で遊ぶために最低限必要な魔法陣だ。逃げることも死ぬこともできない。最悪の鳥籠である広間に、狩りの獲物が放たれた。

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