642. 後悔できる立場だから出来ること
こってり3時間も説教されたルシファーは、渋々書類整理を始めた。嫌がらせかと勘繰るほど、大量に積まれた書類を1枚ずつ確認する。人族の生息数を減らしたことで、ここ最近は襲撃の話を聞かない。傷つけられる魔族が減ったため、事後処理が少なくなり、討伐依頼や救済措置の嘆願も見かけなくなった。
「うーん、こんなに効果があるなら……もっと早くに討伐するべきだった」
唸りながら、魔族から魔物へランクを下げられた人族の報告書を眺める。ファイル1冊に纏められた内容を見る限り、過去の統計と比較しても人族の襲撃が少なかった。それだけの余力がないのだろう。
一番多かった時期の1/3まで個体数を減らし、生息域も限定した。人族を海沿いに追いやったことで、アルラウネのように外縁に棲む弱い種族が襲われる確率も下がる。今までの政策が失敗だったと目の前に数字を突きつけられ、機嫌のいいアスタロトの顔と交互に数字を眺める。自然と溜め息が漏れた。
無駄に魔族を苦しめたのが『人族への同情』だったとしたら、己の判断の未熟さが染みた。過去に襲撃され殺された魔族に、謝る言葉すら思い浮かばない。頭を抱えてしまったルシファーへ、アスタロトは厳しい言葉と承知で口を開いた。
「後悔するなら、今後の判断の糧にして民を守ってください。それと……後悔できるあなたは
「そうだな。オレは後悔してられるんだから、生きてる今に感謝して、これから不条理に魔族を害されないように努力しなくちゃな」
苦言を受け止めたルシファーの決意に、隣で押印を手伝っていたリリスが大きな赤い瞳を瞬いた。
「ルシファーが嫌なら、私が滅ぼしてもいいわ」
何を? そう対象を尋ねる意味はなく、また彼女の手を汚す必要もない。首を横に振ったルシファーが、彼女をそっと抱き寄せた。黒髪をルシファーの肩に寄せたリリスに、書類を整理するアスタロトが声をかける。
「魔王妃殿下が手を下すなど、恐れ多いことです。それに……あれは我々の獲物ですよ」
大公である4人は基本的に人族排除派だ。原始の種族であると考えたから我慢していた。ルシファーが庇うから手を引いただけ。許しがあれば、いつでも確実に
「配下の仕事を取ってはいけない、リリス」
「わかった。アシュタ達に譲るわ」
にっこり笑うリリスは、持ち歩いている白い毛皮のポシェットから瓶を取り出す。幼い頃から大切にしている小瓶を振り、中から飴を摘まんで口に入れた。アスタロトに差し出して取ってもらい、ルシファーの口へは自らの手で押し込んだ。
子供の頃に両手で揺すった瓶は、成長した今では片手で扱える小さな物だ。
「まだその瓶をお使いでしたか」
最近は見かけないので忘れていたアスタロトに、リリスはきょとんとした顔で瓶を眺めてから頷いた。
「だって
「……いま、パパって呼んだ?」
懐かしさに目を輝かせるルシファーの前に、どさっと追加書類が積まれた。崩れそうな書類を慌てて両手で押さえる。
「我々はこの後、集会がありますが……明日の午後に戻ります。それまでに、この書類を片づけてくださいね」
「わかったわ」
「……はい」
先にリリスが承知してしまったため、断れなくなったルシファーが「いやだ」と呟きながらも返事をする。書類処理の期限をしっかり念押しして、アスタロトは執務室を出た。明日まで彼らをこの部屋に釘付けにするための手筈は整った。
「さて……我々も、息抜きが必要ですからね」
物騒な呟きを残し、アスタロトは足早に中庭へ向かった。
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