921. 切なくて懐かしい昔話

 出会った頃幼子だったリリスも、今ではカトラリーを使いこなす淑女である。教育係のアデーレに似た優雅さを持つ手元が、魚を上手にほぐした。骨を抜いた身を魚専用のスプーンに乗せる。


「あーん」


 素直にリリスのスプーンに口をつけるルシファーが「上手になったな」と褒めた。フィッシュソーススプーンと呼ばれる名称の通り、魚にかかったソースごと掬った一口を、リリスも自分の口に運ぶ。


「この魚、白いのにほんのりピンク色なのね」


「マスの一種だと聞きました。川魚ですが、綺麗ですね」


 同席したイポスが微笑む。頷いたリリスの隣で丸ごと平らげるヤンが、肉の塊に噛み付いた。彼は魚より肉の方が好きらしい。骨付き肉をそのまま噛み砕く音が響き、満足そうに飲み込んだ。魔族には珍しくない食事風景だ。


 人族がいれば卒倒するだろうが、異種族同士の食事会も頻繁に行われるため、他者の食事マナーに口煩い者は少なかった。下手に注意すれば、狭い己の世界しか知らないと眉をひそめられる。確かに、フェンリルにカトラリーを使って肉を骨から外せと告げるのは、無理があった。


「ヤン、美味しい?」


「はい、極上のオーク肉ですぞ」


「オーク……昔ベーコンを作ったわ」


 カトラリーをおいて興奮した様子で話すリリスへ、頷いて話を聞きながらルシファーが果物を運ぶ。ある程度食べたリリスは、他のことに興味が移っているので、もう食後のフルーツでも構わないだろう。食べた量を確認したルシファーにすれば、リリスはいつもより多く食べていた。


「ベーコンは……くくっ、アスタロトの城が煙臭くなったな」


 思い出して噛み殺そうとした笑いが溢れる。ルシファーの魔力が一時的に使えなかった頃、アスタロトの城を襲撃した話を出され、イポスが苦笑いした。


 ミノタウロスやオークの大群を魅了して操ったのは、イポスだった。過去の黒歴史を掘り起こされ、彼女の首が真っ赤になる。父に認めて欲しくて、魔王に勝とうと考えたのだが……今考えると大公に殺されなかったのが不思議だ。


「あの時はどうして禁固になさったのですか?」


 処分してもよかった。魔王へ歯向かった小娘を生かした理由が分からず、イポスは首をかしげる。リリスに忠誠を誓った今は騎士だが、当時はただの公爵令嬢に過ぎなかった。


「話していなかったか?」


 リリスが残した魚を平らげたルシファーは、ポットから注いだお茶を全員に用意した。ちなみに、ヤンは巨大な陶器のボールである。巨人族用に作られたのだろう。取っ手は一応ついていた。


 血に汚れた口元を洗うようにして紅茶を飲むヤンも耳をそば立てる。あの事件も今になれば懐かしい。逆凪で腕が使えなくて、リリスの抱っこさえ叱られた時期だった。思い出すように一瞬空中を眺めてから、ルシファーは椅子に寄り掛かる。


「1番に考慮したのはイポスじゃなくて、サタナキアだ。ずっとオレに仕え魔王軍の将軍職を務める男が、亡き妻との間に産まれた娘を大切にしていると知ってた」


 過ぎるほどの忠義を掲げ、他の魔族が驚くほど功績をあげた。下手に重罪に問えば、責任を取って彼も辞任すると言い出すだろう。それは魔王軍にとって損失だ。


 話を聞きながら苺を頬張るリリスが、ルシファーを背もたれにして寄り掛かった。黒髪を撫でるルシファーが、銀の瞳を細めて表情を曇らせる。


「最愛の娘がいながら、あれだけの功績をあげて勤めたのだ。オレもリリスを育て始めて気付いたのだが、サタナキアは娘の側にいたかったのではないか? 成長を見守り、子育てにおろおろしながら暮らす道を捨てた、忠義の男に報いる方法を他に思いつかなかった……父親を奪って悪かった、イポス」


 ぽろりと涙を溢したことに気づかず、イポスはじっとルシファーと目を合わせていた。透き通った粒が頬を濡らし、しばらくして首を横に振る。声は出ず、ただ必死で首を横に振って「もういい」と示す。


 当時のルシファーの護衛をしていて、事件を直接知るヤンは、大きな舌でべろりとイポスの頬を舐めた。


「ヤン、生臭いのではないか?」


「我が君、失礼ですぞ」


「……すこし臭いと思うわ」


 むっとしたヤンへ、リリスも顔をしかめて嗜めた。未婚女性の頬を舐めるのは、どうかと思う。そんなやり取りに、イポスは吹き出した。一気に場が明るくなり、彼らは昔話で盛り上がると、いつもより夜更かしした。

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