18. まさか、引き分け?
魔王と勇者は対である。
魔力が多く寿命が長い魔族なら知っている話だが、人族に正しく伝わらなかったらしい。怪訝そうな顔をした2人へアスタロトは、貼り付けた胡散臭い笑顔で続けた。
くるりと指先で魔法陣を描いてみせる。
「魔王陛下が崩御されない限り、魔族以外の種族として勇者は転生します。何度殺されても、必ず勇者は生き返るのです。勇者に前世の記憶は継承されませんが、3歳になると左手の甲にこの魔法陣と同じ紋章が現れます。彼に紋章はなかった。だから勇者ではありません」
理路整然と説明された魔法使いは、空中に描かれた光る魔法陣を食い入るように見つめ、すこしして溜め息を吐いた。複雑すぎて理解が届かない。そのため複製も不可能だった。つまり人族に同じ魔法陣を作り出して、腕に刻む方法はないのだ。
「すごく……複雑な紋章ですね」
悔しさを滲ませた魔法使いがフードを外し、ゆっくりと頭を下げた。
「偽者に踊らされて攻め込むなんて……謝ってもすまないでしょうけど、ごめんなさい」
「私も王族であり神官でありながら、何も知らなかったわ。この身も命も捧げますので、どうか戦争だけはお許しください。今の我が国に余力はないのです」
己の身を捧げて戦争を回避しようと、祈りの形に組んだ手を顔の前に掲げて膝をつく。神官と魔法使いの謝罪を前に意見を聞こうと振り返ったアスタロトは、崩れそうな膝を必死で支えた。
リリスは無邪気に白い髪を引っ張り、涎でべたついた手で次の髪をつかむ。手に絡まった髪を口に運んで食む仕草は可愛いのだが、魔王陛下の姿は散々だった。整えられた髪はぐしゃぐしゃ、黒衣の前は涎だらけ、でれでれと崩れた顔に威厳は欠片も残っていない。
「陛下……」
アスタロトの呼びかけに慌てて姿勢を正すが、左腕のリリスがぐずる。掴んでいた髪が手から離れたらしい。そわそわと白い髪を揺らして機嫌を取るルシファーに、アスタロトは雷を落とした。
「いい加減にしてくださいっ!」
文字通り、本物の落雷が魔王を直撃する。
感情のままに魔力を揮ったアスタロトだが、周囲を巻き込みかねない落雷は轟音だけを残して散った。火花となって降り注ぐ魔力は、観客もそれぞれに防いでいる。
城下町である王都ダークプレイスに住む民は、魔王や側近の八つ当たりで消滅しないよう、普段から鍛える連中が多かった。鍛える手間を省いた魔族は、観戦中に死んでしまうなど事故により間引きされる。期せずして、ダークプレイスは精鋭の揃う城塞都市と化していた。
「またか。陛下はいつも怒られてるぞ」
「自由な方だから」
諦め半分の酔っ払いが口々に騒ぐが、ルシファーは気にした様子を見せなかった。右手で散らした雷が起こした火花に、リリスの機嫌が上昇したことに笑みを浮かべる。
「リリスは本当にいい子だ。アスタロトおじちゃんの雷が気に入ったか?」
「……おじちゃん?」
整った顔がひきつって、片眉が持ち上げられる。今の単語をもう一度繰り返したら人死にが出る――ベルゼビュートは首を竦めて民を守る結界を張りなおした。
「いや、お兄ちゃんだった。訂正してお詫びする」
真顔で訂正したルシファーに、アスタロトの表情が和らいだ。観客を含めて凍りついた空気がふわりと溶けていく。
「いいでしょう。それより彼女らをどうしますか?」
「ん? 特に必要ないし、攻め込む気もないから……帰ってもらえ」
「「「え?」」」
アスタロトと魔法使い、神官がハモる。不思議な現象の中、ベルゼビュートは賭けの胴元であるバアルに半券を差し出した。
「さっき、魔王様が勇者を送り返した時点で10分よ。私の勝ち」
ピンクの巻き毛を指先でくるくる回しながら、得意げに告げる。しかしバアルは首を横に振った。
「偽勇者だったので、勝ち負けなしのドロー(引き分け)です」
半券を発行した魔族が、6本の手で賭け金を返金していた。半券を握り締めて抗議しようとしたベルゼビュートの手に、金貨1枚と銀貨5枚が渡される。時間を当てたのに、勇者を倒すという前提条件が崩れたため賭けが成り立たない。バアルは優秀な胴元だった。
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