19. 帰そうとしたのですが

「魔王陛下のお言葉です。帰って構いませんよ」


 頭痛をこらえるように顳顬こめかみを押さえたアスタロトのセリフに、王女であり神官である女性は一礼して立ち上がった。しかし魔法使いは動かない。悩みながら口にしたのは、予想外の言葉だった。


「帰る方法がありません」


「どういう意味ですか?」


 アスタロトが顔を上げる。整った顔に赤面しながら魔法使いが説明した内容は、ある意味、納得できる話だった。魔王領まで彼女達が無事にたどり着けたのは、未熟ながらも偽勇者と騎士2名が戦って魔獣を追い払ったからだ。


 多少の魔法が使えても魔力量が少ない魔法使いと、回復系しか使えず戦力にならない王女では、魔の森を抜けて人族の領地まで辿り着けない。説明された内容に、アスタロトはいい笑顔を向けた。


 この次に続くだろう言葉を予想した民は、勝手に賭けを始める。アスタロトが彼女らを殺すか、生かして放り出すか。2つの選択にバアルが改めて賭けを呼びかける様子を、恨めしそうに指を咥えたベルゼビュートがにらみつけた。


「ならば簡単です」


 そう告げたアスタロトが雷を呼び起こす前に、ルシファーが右手の刀を地に突きたて、彼女達へひらりと手を振った。


 一瞬で転移させた姿に、バアルが頭を抱える。またしても賭けはパーだった。


 殺すか、生きたまま追い返すか――まさか、転移させて終わりなんて。だがこれは勇者を騙った青年や騎士と同じならば、殺した方に入るのかも知れない。そう考えて賭けの勝敗を計算し始めた。


「陛下?」


「お前、殺す気だっただろ。オレの指示は帰ってもらうことだぞ?」


 溜め息をついた魔王の指摘に、無言で頭を下げるアスタロト。どうやら当たっていたらしい。雷を落として殺せば帰す手間も要らないと考えたのは、彼が排除派だからだ。


 あっさり転移させたルシファーは刀を消すと、抱いたままのリリスに微笑む。静かだと思ったら、いつの間にか眠っていた。唇の端に光る涎をちょいちょいと拭いてやり、ばさりと黒い翼を広げる。


 国民へのサービスだ。翼は溢れた魔力から形成されるもので、色や形に制限はない。好んで黒衣を纏うルシファーの翼は1対2枚を解放していた。本来の彼の姿は12枚の大きな翼を背負った状態だが、即位以来見る機会がない。即位記念祭などのイベントでも6枚しか披露しなかった。


「リリスを寝かせるから、帰るぞ」


「……わかりました」


 理由が情けない。まだ飲み食いを続ける民に挨拶の手を振って、空へ舞い上がった。歩いて戻ってもいいが、飛んだ方が威厳がどうのと言われたことを思い出したのだ。


 あっという間に終わった娯楽を残念がりながらも、ダークプレイスの住民達は日が暮れて夜になり、夜明けが来るまで宴会を続けるのであった。





 転移させられた王女でもある神官は身を起こし、すぐ隣に倒れている魔法使いの呼吸を確認する。生きている事実にほっとして見回した風景は、見覚えがあった。


 自国のすぐ近くにある森の入り口付近だ。ここらは騎士団が定期的に魔獣を駆除しているため、安全とされる地域だった。


「ん…」


「大丈夫?」


「いったい何が……、転移?」

 

 魔法使いの疑問へ頷いた。あの場で何が起きたのかは知らない。しかし魔王である純白の青年が自分達を助けてくれたことは理解していた。


「私達は魔族を誤解していたのかも知れません」


 そう呟いた神官へ、魔法使いは何も言わずに頷いた。

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