1002. 夕食に間に合わないぞ
お茶会を終えて、ルシファーは真っ直ぐに執務室へ戻った。部屋を開けた時間は2時間弱……休憩として考えれば、大して長い時間ではない。部屋の扉を開けて、呆然とした。
開いた窓から吹き込んだ冷たい風が、室内を蹂躙している。リリスが押印を手伝ってくれるため、かなりハイペースで片付けた書類が部屋中に散乱しており、額を押さえて溜め息を吐いた。
「どうしたの? ああ! 大変じゃない!!」
入り口で足を止めたルシファーの後ろから、リリスが顔を覗かせた。また訓練に戻った大公女達はいないので、自分達で片付けなければならない。ただの報告書なら魔法陣を描くなり、風の魔法で一箇所に集めればよいのだが。
「署名した書類の方が多い……」
嫌な事実にルシファーが呻くように呟いた。ひとまず廊下から室内に入り、書類を踏まないように靴を脱ぐ。他人が作った書類を足で踏み靴跡を残すなど、非礼にも程がある。それからテラスに続く窓の外に書類が落ちていないのを確かめた。幸いにして室内に吹き込んだだけらしい。
出かける際に窓を閉めるか、終わった書類を箱に入れれば良かった。後悔先に立たず、ルシファーは窓を閉めて振り返る。すでに座って拾うリリスの後ろで、彼女が転がらないようヤンが心配している図に、頬が緩んだ。イポスが苦笑いして、金髪を頭の上に結い上げる。仕事モードに切り替えた彼女は、書類箱を探して並べ始めた。
こんな日もある。終わりがあるかもわからない長い人生、のんびり行こう。気持ちを切り替え、ルシファーも窓際の書類から拾い始めた。魔力を使えば署名や押印が消えてしまう。
リリスの魔力を封じておいて良かった。心の底からそう思い、手作業で黙々と処理していく。拾った書類はまず分類した。報告書、嘆願書、私信、提案書や財務書類など。集めた書類をさらに分類する必要があった。報告書も軍事や財務、領地の定期書類と複数に分かれる。
「ダメだな、これでは夕食までに終わらない」
助けを呼ぼう。こういう考えは大公より魔王ルシファーの方が柔軟だった。侍従達を呼ぶために廊下に顔を出したところで、コボルト達にレラジェ探しを頼んだと思い出す。まだ戻っていないので、リリスを手招きした。
「悪いが応援を呼んできてくれ。オレはここで片付けてるから。あと3〜5人くらいかな」
ルシファー、リリス、イポスとすでに3人いるので、5人以上呼ぶと狭くなる。上限をしっかり言い聞かせた。
「わかったわ! いくわよ、ヤン」
獣の手ではあまり助けにならず、オロオロしていたヤンが廊下に飛び出す。リリスの護衛にちょうどいいと見送った。廊下の途中でリリスと会ったアデーレがすぐに駆けつける。てきぱきと片付ける侍女長の頼もしさに、ルシファーは安堵の息をついた。
少なくとも大公が戻るまでに署名を終えないと、サボったと誤解される。今日の夕食はコカトリスの唐揚げを注文したので、かき込んで食べる事態は避けたかった。食べたあとゆっくりと風呂に入り、リリスを抱っこして眠りたい。ここ数日急に冷えてきたので、リリスを1人で寝かせて風邪でも引いたらと心配だった。
とにかく今夜中に拾って分類できれば、すべて間に合うのだ。
「お手伝いに来ました……え、なんで?」
「これは……大変だな」
この世界に来た時から文字の読み書きもできた日本人という、最強の助っ人が2人現れた。アベルはまだ自宅だが、イザヤとアンナは出勤している。彼と彼女は書類を持っていた。ひとまず手にした書類を部屋の隅に積み上げる。
書類を運ぶ途中で、リリスに頼まれたという。手伝いに駆けつけた2人は魔力量も少ないので、書類の文字を誤って消す心配はなかった。それでも一応声をかけておく。
「署名済みの書類が大量に混じってるから、絶対に魔力を流すな」
魔法禁止令に、イザヤやアンナも納得した。部屋に入るなり、アスタロト大公夫人や魔王が這いつくばっていたのか。魔法が使えなくて、人族同様に手作業しかない現実――思わず本音が口をついた。
「魔法って、万能じゃないのね」
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