919. 執行後の鳥籠

「ああ、安心してください。あなたの身体に傷はつけません……」


 ――声にせず、唇だけが紡いだ言葉に子供は気づけるだろうか。ドラゴニア侯爵エドモンドと約束した通り、彼の甥にあたるカイムの身体を傷つけはしないし、他の能力を封じもしない。だが傷つけないと約束した記憶はなかった。


 愚かな行為には、相応の罰を――それが弱肉強食の掟に適うやり方でしょう。機嫌よく笑みを絶やさないアスタロトは、怯えるドラゴンを見下ろした。朱色の炎を体現する鱗を持ちながら、己の力の使い方を誤った愚か者だ。


 魔族の強者に分類される一族でなければ、ここまで厳しい罰は与えなかった。逆に、彼が弱者なら騒動はもっと小さく収められただろう。立場に見合う教育も、受け取る当事者が捻じ曲げてしまえば効果は半減する。彼は己を律する方法を学ばなければならなかった。


 強い個体に生まれたのならば、同種族の弱い個体を守るために力を揮えばよかった。それならば褒められることはあっても、このように拘束される立場にならなかったのに。


「あなたの魔力を封じます。死ねば拡散されて、大いなる魔の森へ還されます」


 封じるだけで奪うわけではない。そのため魔力量に影響される寿命に影響はなかった。ただドラゴンの形は魔力を具現化したもので、すべて封じれば無力な子竜になる。人族の子供と大差ない、何も出来ない個体が弱肉強食の掟の中でどれだけ生きられるか。


 死ねば魔の森に同化される。それは魔族にとって、きちんと埋葬されることと同意語だった。輪廻転生のように、自分が死んだ後の魔力は別の魔物や魔族となって生まれ変わり、この世界を巡ることはひとつの宗教に似た概念だ。死んだ後に消滅させたりしない。そう確約され、カイムは震えながらも頷いた。


 最悪の事態だけは免れた。かつて魔王の命を狙い、数十人の犠牲が出る事件があった。演説中の魔王を倒すために数人で一斉攻撃し、集まった民に犠牲者を出した犯人達は『消滅』させられた。魔力を還元することも許されず、存在そのものを世界から否定されたのだ。彼らの魔力や魂が蘇ることはない。


「逆鱗を中心に、首回りがいいでしょうか」


 指先や手足に封印を刻んだ場合、まれに切り落として逃れようとした事例もある。逆鱗や首を切り離す愚行は冒さないだろうと判断し、アスタロトが魔法陣を描いた。丁寧に細部まで調整する。あえて見せることで、彼の恐怖心をあおり続けた。


 発動させる魔力を注ぎ、彼の首にぐるりと魔法陣を刻む。鱗の下にある皮膚に直接描かれた文様は、一度光ると消えた。直後、現在の大きさを維持する魔力が足りなくなり、するすると小型化する。レライエが抱きかかえて歩く翡翠竜程度の、子供でも抱っこできる大きさだ。


 縛っていた鎖が収縮し、小型になったドラゴンを床に押さえつけた。見下ろすというより、覗き込まなければ見えない子竜を縛る鎖を解き、魔力で手元に引き寄せる。排泄物で汚れたカイムに水をかけて洗い、アスタロトは収納から取り出した大きめの鳥籠に放り込んだ。


「だ、出して!」


「出られるなら自力でどうぞ」


 邪魔はしませんよ。そう言いながら、施錠し終えた扉を指さす。オームなどの大型鳥類を入れる籠は、カイムをすっぽり包み込んだ。暴れようが体当たりしようが、子猫が暴れるのと大差ない。騒いでも籠が揺れるだけと悟り、カイムは大人しく俯いた。


 どうせ、父母に引き渡されるまでの間だ。我慢しても大した時間じゃない。そう自分を納得させるカイムへ、アスタロトは思いだしたように付け加えた。


「伝え忘れたことがあります。あなたの身柄は私が預かることになりました。エドモンドもご両親も納得されています」


 助けはない――無慈悲に示された現実に、カイムの目から大粒の涙が零れ落ちる。見開いた目に映る絶望に、アスタロトは満足気に口端を引き上げた。

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