1046. 何か異常がなかった?
大公自ら迎えに来るなど、余程の事態だろう。そう判断したアンナは、冷蔵庫代わりの収納へケーキをしまう。仕事の時よりラフな恰好をしているが、緊急招集なので問題はない。兄と腕を組んだところで、アベルが椅子の背もたれに掛けていた上着を投げた。
「少し寒いぞ」
「ありがとう」
笑顔で羽織り、隣の兄も同様に上着を手にした。外へ出て上着に袖を通したイザヤは、妹をエスコートしてベールの前に立つ。
「急ぎますので転移します」
転移は酔う者もいるので、礼儀として緊急時以外は声かけが基本だった。頷いた2人を連れて、ベールは魔王城に帰還する。中庭には、困惑顔の十数人が集められていた。
「急に集まってもらってごめん。今日の爆発で研究中の薬が散った可能性があるから、検査させて」
白衣のルキフェルがそう告げると、魔族は逆に表情が明るくなった。
「なんだ、また試験薬か」
「前回は毛生え薬だっけ?」
「毛が生えたのは前々回だろ」
「前回は前歯が伸びるやつだ」
「「ああ、あれか」」
周囲は試験薬の拡散に緊張感がない。危険な物ならもっと早く動いているし、基本的に結界が張られていて拡散の心配は薄かった。
毛生え薬はハゲた魔獣用で、前歯が伸びる薬は齧歯類なのに前歯が折れた獣人用だった。それらを浴びて影響が出たところで、ベールがすぐに治療してしまう。ルキフェルも解毒剤を作るので、彼らは大して心配していなかったのだ。
過去の事情は知らないアンナとイザヤだが、会話から「大した問題ではない」と気づいて顔を見合わせた。
「あら、巻き込まれたの?」
「ええ。オレリアさんも?」
ハイエルフの美女は、長い薄緑の髪を揺らしながら笑った。
「ええ、婚約者の顔を見に行ったら爆発したわ」
いつものことだと続く言葉に、アンナは安堵の息を吐いた。
「今回は何の薬かしらね」
オレリアは楽しそうに肩を竦めた。魔法で一時的に変身する程度の感覚なのだ。戻してもらえる確証も、長年の信頼と経験から得ている彼女は強ばったイザヤの肩を叩いた。
「リラックスして。爆発原因はプリンだし、おそらく近くにあった脱毛剤でも吹き飛んだかしら」
「マジか? 俺の残り少ない毛がっ!」
「いっそベール大公閣下に増やしてもらったらいいじゃない」
頭の薄毛を気にするコボルトを、ハイエルフは笑い飛ばす。中庭に急遽用意されたテントで、個別に検査が行われていた。待っている人々は暇なのもあり、馬鹿話や噂の交換に余念がない。
「ところで、アベルをルカちゃんが押し倒したって本当? 何か聞いてない?」
「オレリアさん、その話おかしいわ。だってあのルカちゃんよ? アベルもそんな話してないし、でもキスはしたみたい」
「ついにキス! よく無事だったわね」
怒ったアスタロトに首を飛ばされるんじゃない? と手話に近い隠語で語られる。牙を示す仕草が吸血鬼王アスタロトを示し、右手で首を刎ねる動き、そして怒ってたでしょ? と角を作った。オレリアの器用さにイザヤも口元が緩む。
「同意らしいぞ」
ついつい口も軽くなる。アベルから聞き出した話は、今後尾鰭を生やしながら増殖するだろう。
「アンナ、イザヤ」
兄妹で、一緒の結界に入ってたからか。2人は同時に呼ばれた。ルキフェルが手招きするテントへ入り、用意された椅子に腰掛ける。
「今日は悪かったね。手伝ってもらった時間帯に、作りかけの薬が飛び散ったんだ。少し探るよ」
ルキフェルの指先が、それぞれの額に魔法陣を貼り付けた。ほんのり温かい。近くに置いた自動筆記の内容を確かめて、ルキフェルが首を傾げた。
「ねえ。夕飯食べたよね」
「はい」
イザヤが先に答える。すると唸りながら魔法陣に再び指先を触れた。
「味とか食感とか、異常がなかった?」
「特に感じませんでした」
料理をしながら味見もしたアンナが返す。渋い顔をしたルキフェルが、隣の研究員に合図をした。
「この2人は別室で再検査」
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