655. 人徳による総力戦

 結論から言えば、チョコレートは間に合った。大量のカカオの実を割る作業は、ヤンが呼んだ魔獣たちが手伝ってくれた。中身を取り出す作業は手先の器用なエルフが、無骨なドワーフもカカオ豆専用のかき出しスプーンを作る。


 発酵をベルゼビュート、ルキフェルが乾燥を担当した。いくつか爆発した種もあったようだが、普段から結界を纏う大公にケガはない。乾燥した種を焙煎機に放り込む作業をルシファーがこなし、リリスの雷で焙煎済みのカカオを砕いた。


 大量のカカオマスを作ったところで、彼らは限界に気づく。カカオバターが足りないのだ。前回イフリートが作った時の手順を思い出すが、彼は黒卵の白身を使った。


「黒卵の次の入荷は?」


「5日後です」


「……間に合わない」


 尋ねたルシファーに、アデーレが申し訳なさそうに答えた。ここまで来て頓挫か。悔しいような悲しいような複雑な気持ちで、後ろを振り返った。


 誰もが休日返上で手伝ってくれたのに、最後の詰めの甘さで、すべてがパーになりそうだ。そんなこと、とてもじゃないが口にできなかった。


「カカオバターなら、カカオマスから作れたかも知れません」


 イザヤが記憶を辿りながら、口を挟む。確か圧縮していたような……こう、搾る感じだった。曖昧な知識だが、身振り手振りで伝える。するとルシファーが思い出したように、魔法陣をひとつ呼び出した。


「ルキフェル、これが使えないか?」


 以前にリリスが青いハーブティーに凝ったことがある。檸檬を大量に入れるとピンク色に変化するのだが、その檸檬を搾るために専用魔法陣を作っていた。


 ルシファーから受け取った魔法陣を眺め、ルキフェルが数値や文字をいくつか変更する。粉状のものを搾るのか、粉にする前に搾るかで悩み、両方試すことにした。


「ルキフェル、出来そうか?」


「多少の調整が必要だけど、問題ないと思う」


 魔法陣の専門家が2人がかりで確認した魔法陣を拡大した。直径2m近くまで広げた後、その上にドラゴンの羽で飛ぶレライエがカカオマスを乗せた。周囲に粉が散らないよう、シトリーが風で筒を作って真ん中に積み上げる。


「受けにはこちらを」


 ルーサルカが運ぶ巨大な器は、イベント用に作らせた鍋だった。ルーシアが敷いたシートの上に鍋を置くと、ルキフェルが魔法陣を真上に移動させる。


「搾るぞ」


 ルシファーの掛け声で、全員が固唾を飲んで見守る。平たい円形の魔法陣の縁が立ち上がり、粉を包んで一気に圧縮した。絞り袋のような先端から、ぽたりと落ちる。出た……が想像と違う。


 もっと大量に取れないと意味がないと唸る中、呆れ顔のアスタロトとベールが大きな鍋をひとつ持ち込んだ。


「この黒卵をお使いください」


「手伝ってくれるのか?」


 目を輝かせるルシファーへ、アスタロトが苦笑いした。


「皆が休日返上で協力しているのに、我々が何もしないわけにいきませんよ」


「助かった。ありがとう」


 素直に礼を言って受け取るルシファーが頭を下げる。こういうところが、民に好かれる一因だ。そして一部の魔族に舐められる部分でもあった。


 弱肉強食の意味をはき違えた者は、どこにでも発生する。人族でも魔族でも同じだった。何かをしてもらって礼を言ったり、頭を下げて頼むのは恥ではない。弱さでもなかった。


「祭りは明後日でしたか。早くしないと間に合いません」


 ベールに発破をかけられ、全員が慌てて各々の作業に戻った。カカオマスを入れた鍋に砂糖を計って入れるリリスは、自分の友人であり側近でもある少女達と楽しそうにかき回し始める。


 魔力操作に長けたルーシアが補助したため、爆発や暴走は起きていない。魔法陣を作って鍋を浮かせたシトリーが支える間に、ルーサルカがかまどを作った。土製のかまどの中に、レライエが火をつける。火加減の調整を頼まれた翡翠竜が、真剣に炎を眺めていた。


 くるくると回る巨大なヘラの下で、チョコレートは徐々に艶を増す。熱を加えることで香りが立ち始めた。周囲を甘い香りが包むと、自然と集まった人々の表情が笑顔になる。


「結局、あの人の思惑通りになるのが悔しいですが……民にとって最高の魔王ですね」


 自分勝手に振る舞うくせに、最後は民に受け入れられる。ルシファーの人徳と認めるのは少し癪だとぼやきながら、お目付役2人の口元は緩んでいた。

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