1176. ヴラゴはやれば出来る子

 リリスの説得を終えたところに戻ったヴラゴは、彼女の膝に両手を置いて小首を傾げる。きゅーと鳴いて抱き上げてくれと強請った。


 ……気のせいか? 健康診断の前より赤子感が増した。ちらりと視線で確認するも、笑みを浮かべたルキフェルは平然と受け流す。悪いことをしたと思っていないため、ルキフェルは後ろめたさなくルシファーの眼差しを見つめ返した。逆に居心地が悪くなり、疑った自分が悪いのかと自問自答するルシファーが目を逸らす。


 こういうとこ、ルシファーは甘いよね。幼児の外見を利用していたルキフェルが言うことではないが、本当に魔王なのかと疑うほど甘い。その分を側近がカバーすれば問題ないけどね。


「まあ、可愛い。今日はどうしたのかしら?」


 リリスは無邪気に喜んで、ヴラゴを膝に乗せる。養い子と認識し、彼の過酷だった幼少期を知るルシファーはそれを許した。あまり狭量すぎる男は嫌われる、つい先日アデーレに注意されたばかりだ。


 ヴラゴもリリスの胸に顔を埋めたり、膝の匂いを嗅ぐような失礼はしない。抱き上げられても節度ある態度で、膝の上に丸まった。気分は子猫である。拾われた子猫としての振る舞いを忘れなければ、魔王を怒らせることはない。ベールの忠告を魂に刻んだヴラゴは、己の役割を完璧に果たした。


 大きな瞳でリリスを見上げ、きゅ? と愛らしく首をかしげ、時に甘えて膝の上で眠ってみせる。お陰でリリスは赤ちゃんの件を言い出さなくなった。ヴラゴに食事をさせる役は、さすがにルシファーが嫉妬する。ドラゴンは給餌行為を求愛として利用するため、既婚者のアデーレがその役目を担った。


 ルシファーがリリスに果物を食べさせ、嬉しそうなリリスがお返しをする。受けのついたエプロンで侍女長に食べさせてもらうヴラゴ。一般家庭の絵図としてはおかしいが、魔王の居室なので違和感は少ない。幸い、おかしいと指摘する人物もいなかった。


「ルシファー様、本日の予定です。書類の処理は午前中に済ませていただければ、午後はお時間に余裕があります。夕方から絹織物の視察を忘れないでください」


「書類は何枚だ?」


「およそ20枚ほどです」


 これは少ない。日本人の改革は素晴らしいと頬を緩めるルシファーの隣で、リリスが声を上げた。


「私、手伝うわ」


 手伝うほどの量はないのだが、ルシファーが断るわけはない。


「お願いしようか、お姫様」


「ヴラゴも一緒よ」


「もちろんだ」


 かつて御飯事遊びに夢中になったように、リリスはこの家族ごっこがいたくお気に召したらしい。アスタロトは満足げに頷いた。これならば2年後の結婚式まで余計な発言はしないだろう。


「絹織物の視察は、何を見るの?」


「リリス様の婚礼衣装に使う絹を、アラクネ達に注文しています。そちらの視察ですよ」


「まあ、素敵」


 魔族の婚礼衣装は、基本的に白を纏う。日本人も同じだと言っていたが、意味合いがだいぶ違った。今後の繁栄と幸せを守れるように、強者である白を纏うことで祈るのが魔族の由来だ。そこにアンナが持ち込んだ「あなたの色に染まりたいの」という概念は、まったく意味が違う。にもかかわらず、魔族の間に一気に浸透した。


 魔族はさまざまな色を持つ者が多く、憧れの魔王を示す白を纏った花嫁を、嫁ぎ先の自分の色に染め直す考え方は不思議に融合してしまった。お陰で純白の布が一気に売れ、一時的に品薄になったほどだ。花嫁はもちろん、まだ幼い娘でさえ欲しがる。すでに婚姻を済ませた夫婦でも、マンネリ解消に純白の薄衣を被って子作りに励む者が増えた。


 アラクネ達はこのところ、ひたすら白ばかりを出荷している。忙しい中だが、リリスの婚礼衣装の進行チェックは必須だった。のんびりして間に合わなければ、大騒ぎになる。すでにデザインは決まり、靴や飾り物の手配も始まっていた。大粒の宝石を大量に提供したルシファーは、テーブルに残った最後の苺をリリスの口に入れる。


「さて、一仕事終わらせるか」

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