10. 女の子ですが、オムツ替えしました

 濡れ鼠のアスタロトが魔法で汚れを落とすと、ルシファーは赤子を受け取っておくるみで包んだ。


「オムツはどうするんだ?」


「手配しました」


 人族の育て方を調べたアスタロトは、すでに配下のものに必要な道具や家具を手配させていた。哺乳瓶、オムツ、肌触り重視の衣服、ベビーベッドにいたるまで、ほぼ完璧だ。粉ミルクや抱っこ紐まで用意させた。


 長いリストをルシファーに渡す。


「これが手配したリストです。足りない物はその都度用意させます」


 複数枚にわたり、びっしりと書かれたリストを読みながら、ルシファーは感心した。


「へぇ、こんなに道具が必要なのか。セーレのときは餌の入れ物と首輪くらいだったのに」


 灰色魔狼フェンリルの子『セーレ』と同列に語られても、まったく別の生き物だ。少なくとも魔獣は生まれて間もなく自らの足で歩き、多少の保護は必要だがさほど手はかからない。人族は15歳前後まで保護して育てる必要があった。


 1歳を超えるまで目が離せない生き物だと知らない魔王は、素直に感心しながらリストを読み終える。届いたオムツを育児書片手に広げて赤子を置いて……複雑そうに呟いた。


「この子、女の子だ」


「そうですね」


 とっくに気付いていたアスタロトは「それがどうしました」と言わんばかりの態度で、淡々と応じる。ぎこちなくオムツをつけて服を着せた赤子を抱き直して、ルシファーは困惑した顔で尋ねた。


「オレがオムツ替えてもいいのかな」


「今更でしょう。男親であっても育児をする者はいます。拾ったのですから、しっかり面倒をみてください」


 どうせ途中で放り出して私に丸投げするんでしょうけど。嫌味を込めたアスタロトの言葉の裏をスルーした魔王の腕で、赤子はすやすやと眠っていた。


 空腹を満たし、風呂で温まり、最後にオムツも替えたので欲が満たされたのだろう。上下が繋がったプレオールは薄いピンク色だった。


「数十年は退屈しないで済みそうだ」


 やることが沢山あると目を輝かせるルシファーと対照的に、アスタロトとベルゼビュートは顔を見合わせて溜め息を吐いた。




 夜泣き、ぐずり、嘔吐と様々なトラブルを慌てふためきながらこなす魔王の姿は、あっという間に城下に広まった。口止めし忘れたアスタロトが気付いたとき、すでに盛大な噂と真実が混じって知らない人がいない状況になっている。


 敬愛する魔王の一挙手一投足に興味がある魔族にしてみたら、乳母も断って必死に人族の赤子を育てるルシファーの姿は微笑ましく、親しみやすかった。


「ルシファー様、いい加減に名前を決めませんと不便ですわ」


 魔王の養い子で通じるが、固有名詞がないのは問題だ。諭すベルゼビュートは、赤い印のついた紐を右手に握っていた。実は上層部で「誰が進言するか」でクジ引きをして負けたのだ。


「名前? 『リリス』にしたぞ」


 けろっと名付けた事実を告げるルシファーの顔を凝視する。いつの間につけたのかしら、というか……普通に可愛い名前だわ。驚きすぎて言葉が出ないベルゼビュートの後ろから、アスタロトが声をかけた。


「可愛い名前ですね」


「そうだろ? 最近オレ見て笑うんだよ、可愛くてさ。寝顔見てたら名前が浮かんだ」


 嬉しそうに笑うルシファーに、世界で最大の領土をもつ魔族を統べる王の貫禄はない。親バカ全開で、でれでれとリリスの自慢を始めた。


「白い肌は透き通るようだし、顔は可愛い。初めて黒髪を綺麗だと思ったぞ、まあリリスの髪だからかも知れないが、本当に可愛いよな。笑顔なんて最高だぞ」


 だらしない笑顔で養い子の自慢を続ける魔王に、ベールは眉を顰める。


「いつ飽きるのでしょうね」


 もう飽きて欲しいと匂わせるベールの声は、ルシファーに届くことはなかった。

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