170. ずさんな警備とお客さん
中庭を、ピンクのワンピース姿の少女が走っていく。白い肌と黒髪が映える柔らかなピンクは、最近の彼女のお気に入りだった。その後ろを静かについていく侍女。さらに追いかける護衛のフェンリル。最後に小さな青いヒナと続く。
鳳凰は寿命が5万年ほどあるため、幼児期の成長が独特だった。まるで脱皮するように突然大きくなる。その際に自身を焼き尽くして灰から蘇るという、極端な方法が口伝えで残っていた。事前にある程度の予兆があるらしく、突然燃えるわけじゃないらしい。
神龍族の長老が知っていたため、鳳凰のヒナに関してはわりと知識が得られた。先日はその知識をアスタロトが書き残していたので、今後同じようにヒナを見つけても困ることはなさそうだ。
執務室の窓から愛娘とその一行の行き先を見ていたルシファーは、振り返って溜め息を吐いた。大量の書類が積まれていて、最近は処理が追いつかない。もちろん、リリスに掛かりっきりで書類を溜めた自分が悪いのだが……恨めしい気持ちで眺めるくらい許して欲しかった。
新しく再建中の魔王城の設計図は1年前に大きく変更された。というのも、中庭や城門の喧騒が届かないよう執務室を遠くに設置したら、逆に騒動が起きたときに駆けつけるのが大変だという結果に終わったためだ。
これでは有事の際に間に合わない。
ドワーフたちを集めて会議を行ったベールにより、執務室は中庭に面した一角に集められた。サボろうとする魔王を監視しやすくなったと、アスタロトは部屋が近い副産物に大喜びだ。
小さなボールを抱えて走るリリスを見送り、仕方なく机に向かう。今にも崩れそうなタワー状態の書類を、風の魔法でひらりと手元に引き寄せた。少し考えて書類の山を机の脇に積んでみる。心持ち少なくなった気がして、消えた圧迫感にほっと息をついた。
予算関係の書類に一部修正を加えてから署名する。続いて民からの嘆願書だが、こちらは魔物討伐に関するものなのでベールに回す棚に入れた。ひらひらと空中を舞う書類が次々と処理されていく。やれば出来るが、滅多に本気を出さないルシファーの手元から書類が減っていった。
巨大な山を半分ほど崩したところで、お茶を持った侍女がノックする。
「お茶をお持ちしました」
「そこに置いておけ」
視線もあげずに応接机を指差し、残る書類を引き寄せる。人族が再び魔の森に侵略してきた旨の報告書だった。眉をひそめて考え込む。人族の侵攻は引きも切らず、回数は毎年といっていいほど多かった。しかし侵攻のスピードがここ数年で増している。
魔の森は人族にとって危険な場所のはずだ。通り抜けるにも犠牲を払って魔物と戦う必要があった。なのに頻繁に魔王城周辺までたどり着ける方法に、ここで初めて疑問を持つ。
「調査と会議が必要か?」
魔王城は魔の森の奥深くに位置すると考えられているようだが、実際には人族の領地との緩衝地帯から1/5ほど魔の森に入ったあたりに存在した。魔王城の後ろに4/5があるため、魔の森は人族が想像しているよりずっと大きいのだ。
彼らが侵入しやすい場所とはいえ、フェンリルやハイエルフが支配する森を抜けてくるのだから、彼らとて何らかの魔族避けを開発したのだろう。そもそもフェンリルの領域を抜けた報告がないのに、魔王城周辺に人族が出現する事態が異常だった。
「セーレの領域か」
魔の森の地図を取り出して空中に広げた。ヤンの息子であるセーレが受け継いだ領域だ。広大な領域を示す地図を見ていたルシファーは、無造作に右手を差し出した。
「きゃっ」
地図を破った銀のナイフを掴み、くいっと捻る。先ほどお茶を運んだ侍女が、赤くなった手を庇うように転がっていた。地図を避けて大きく溜め息を吐く。気分的には「またか」程度だった。
「……アスタロト、すぐに来い」
「陛下」
呼んだルシファーの声に、ノックを省略したアスタロトが駆け込んできた。声が冷たかったせいもあるだろうが、珍しく焦っている。
「久しぶりのお客さんだ、もてなしておけ」
遠まわしに『ここまで入り込んだ刺客を尋問しろ』と命じると、破かれた地図に手を這わせる。綺麗に元通りに戻した地図をたたみ、一礼して出て行く側近を見送った。
立ち上がって窓の外を見れば、リリスが侍女アデーレと護衛ヤン、おまけのピヨを連れて駆け回っている。元気な娘の姿にほっと一息ついて、工事中で警備が手薄になっている魔王城の現状に眉をひそめた。
「人族対策も、警備強化も急がないとマズイな」
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