279. 狩りに行くまでがひと騒動

「今日は狩りに行くぞ」


 教室でマナーのお勉強をしていた少女達に声をかける。お昼休みが終わった眠くなる時間帯に、机でマナーの講義を受けていても眠くなるだけ。そう主張したルシファーの言い分が通ったのだ。


 その際「確かに陛下も午後はよくサボっておられましたし」と過去の話をアスタロトにほじくり起された傷口が痛む気がするが、ルシファーは無視することにした。


「狩り? お肉?」


「肉でも魚でもいいぞ。両方あれば、調理場のイフリートが喜ぶ」


 にっこり笑って両方あればいいと、答えをひとつに絞らなかった。ウンディーネのルーシアは魚獲りが好きだろうし、ルーサルカは地を走る獣を追うのが得意だろう。シトリーやレライエがどう行動するか見極めるのも、今後の教育方針を決めるうえで重要だった。


 親や周囲の得意分野の話を聞いていても、実際は本人がやりたい方向が違うなんて場合もある。だから直接見極めることにしたルシファーへ「意外と考えているですね」とベールが失礼な発言をしたのは、提案された昨夜だった。


 オレの側近は基本的に失礼な奴ばかりだな。そうさせている原因が自分だと考えないルシファーは、リリスと手を繋いだ。


「どこで狩りするぅの?」


 可愛いリリスの声に振り返ったルシファーが目を見開く。必死で徹夜で作り上げた録音魔法陣を刻んだ水晶のネックレスが、愛娘の首にかかっていなかった。朝見送るときにこの手で付けたのに、どこにいった?!


「リリス……首飾り、は?」


「うんとねぇ。あげちゃった!」


「誰に!?」


「どうちたの?」


 くそっ、今の可愛い噛んだ感じの喋りが録音されていないのか。何回でもリフレインで聞き続けられるのに!! ぐっと拳を握ったルシファーの前に、水晶の首飾りがぶら下げられた。


「陛下、リリス姫によく言い聞かせてください。変な魔道具をあちこちで配らないようにと」


 眉をひそめたベールが、長い衣の裾を揺らして立ち上がる。受け取った水晶のネックレスと、彼の苦り切った顔を交互に見つめた。


「ん?」


「リリスが僕にくれたんだ。でもルシファーの魔力があるから返しにきた」


 ルキフェルの端的な説明に、ルシファーは理解した。今朝はお勉強部屋までの警護にルキフェルが付き添ったのだ。おそらくリリスの装いをルキフェルが褒めたのだろう。そこでご満悦のリリスがルキフェルにネックレスを渡した……と。


「助かった」


「ロキちゃんとベルちゃんも、狩りいく?」


 ベールの眼差しが冷たい。そろそろあだ名呼びを直さないと、鉄拳制裁が下されそうだ。老若男女に効力のある笑みで、ルシファーがリリスを懐柔にかかる。


「リリス、ベールとルキフェルって呼ぼうか」


「やだぁ」


 即答で却下された。リリスは無邪気に手を差し伸べ、ルキフェルが手を取る。


「僕はロキでもいいよ」


「……私は嫌ですけどね」


 やっぱり早急にベールの呼び名だけでも直さなければ。ルシファーは次の課題を心に刻みながら、返されたネックレスをリリスの首にかけた。


「……これ、パパの匂いがするよぉね」


 匂いじゃなくて、魔力の気配だけど……愛娘の可愛い表現に頬が緩む。そんなルシファーの後ろからアスタロトが指摘した。


「人にくれた物から、あなたの匂いがする。あれですね、父親の匂いを排除対象とする、年頃の娘特有の現象ですか」


「あら、まだ早いのではないかしら。あれは適齢期になったメスの特徴でしょう?」


 書類を提出に来て話に混じったベルゼビュートの無神経な発言に、リリスが首をかしげる。


「メスと、娘ってちがうの?」


「全然別よ。リリスちゃんはそのままでいいの」


 にこにことベルゼビュートがリリスの黒髪を撫で、提出した書類をさりげなく別の書類の間に捻じ込んだ。容赦なく引っ張り出したアスタロトが、誤字を指摘する。


「ベルゼビュート、この間違いは修正しないと受け付けません。こちらは処理済みの書類の箱なので、隣の箱に再提出してください」


 きっちり言い聞かせて、汚い文字が躍る書類を突き返した。さすがに数万年の付き合いだと、汚いベルゼビュートの文字も一瞬で解読できるらしい。


「あの……狩りはどうしますか?」


 おろおろしながら魔王と側近たちのやり取りを見守っていたルーサルカの声に、慌てて大人は表情を取り繕った。

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