212. 人を襲うゾンビと汚い策略
「ベルちゃんとロキは帰っちゃうの?」
気を引こうとリリスが髪を引っ張りながら声を上げた。そんなことしなくても、リリスの声なら聞き逃さない自信はある。でも可愛い、ちょっと不満そうな唇も可愛い。
思考が駄々漏れの笑みを浮かべ、幼女の頬にキスを落とした。大きな目を慌てて閉じて、また開く仕草に頬が緩んだ。どうしよう、オレの娘が可愛すぎる……しかも将来の嫁だ。自慢したくて顔を上げると、複雑そうな顔をしたアスタロトと目が合った。
ルキフェルの目を覆って隠しながら転移したベールはすでにいない。
「足元の蟻は私が片付けても?」
「ああっと……この場所はどのあたりだ?」
アスタロトは慣れた様子で地図を取り出すと、指先で場所を示した。4年前に壊した砦と王都の真ん中あたりだ。思ったより人族の領域の奥に入っていた。
「ここですね」
「もう少し手前なら、フェンリルやエルフを動かそうと思ったんだが」
唸りながら眉をひそめる。この位置だと侵攻に少し時間がかかる。彼らも守るべき領地や種族を抱えているため、あまり遠出させてるのも気の毒だった。まあ、命じたら喜んで飛んできそうだが。
「なるほど。彼らに名誉挽回のチャンスを与えようと?」
「魔の森と人族の境界を守っているのは彼らだ。何かあるたびに、オレ達が出張っていては越権行為のような気がする。これじゃ彼らに辺境守護の意識が根付かないだろう」
辺境――人族の領域との境――に棲む魔族や魔獣にとって、自らの領域を己の手で守ることは誇りだ。最近は人族が煩かったこともあり何度か出向いたが、本来は魔王が動かなくても片付けるのが彼らの役目であり、ルシファーは報告を受ける立場だった。
「……軍を動かす手もあります」
魔法が使える貴族や魔獣中心に編成された魔王軍は存在する。ベール大公の管轄下に置かれているが、基本的に普段の仕事は魔の森の駆除管理だった。増えすぎた魔物が溢れて集落を襲わぬよう、定期的に間引きを行っているのだ。
ほぼ毎年駆除は行われるため、実戦経験は豊富な彼らだが……。
「パパ、下の人をやっつけちゃうの?」
無邪気に手を振ったりしているリリスに、彼らが敵だという認識はない。特に何かぶつけたり
「リリスは気にしなくていいよ」
子供の前でする話ではなかったと苦笑いしたルシファーだが、足元に見えた光景に表情が変わった。怒りと苛立ちがルシファーの中に広がる。
豹変した主の姿に不思議そうだったアスタロトも、同じ方向へ目をやると納得した。大量のゾンビが黒い瘴気をまとって街に現れたのだ。
問題はゾンビの種類だった。
今まで魔王城を襲ったゾンビは、魔の森に生息し駆除対象となる魔物だ。しかも人族の領域にいないはずの魔物が中心だった。あの呪詛つきゾンビはなんらかの魔術で、現地生産された可能性が高い。
魔王城の近くでゾンビ化したため、各地の領域からゾンビ発生や通過の報告が上がらなかったのだ。各貴族家が揃ってゾンビの群れの存在を見落とすなど不自然だと思ったが、こう考えれば
そして街に溢れて人族を襲っているゾンビは、すべて人族や家畜のゾンビだった。材料となる生き物を現地調達する考えならば、確かにこの場で作り出せるのは人ゾンビが主流だろう。
「ゾンビが人を襲っていますね」
手間が省けてちょうどいいと冷めた口調のアスタロトは、肩に届く金髪を無造作に掻き上げた。広げたコウモリの翼を一度羽ばたかせて、向きを変えて確認する。
「街のこちら側、南に集中しています」
複数の建物から出たゾンビは、ルシファー達の足元に集まった人間へ向かっていた。
「……腐った権力者の考えそうなことだ。吐き気がする」
ゾンビの動きや流れから、人族の権力者が狙った構図を読み解いたルシファーが顔をしかめる。不安そうなリリスが「あの人たち、臭いやつに襲われちゃう」と泣きそうな顔を見せた。背中をぽんぽんと叩いて宥めながら、ルシファーはアスタロトへ命じる。
「ゾンビを片付けて、思惑を外すぞ。手をかせ」
「かしこまりました」
側近であるがゆえに、ルシファーの行動の意味を読み取ったアスタロトは静かに頭を下げた。
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