665. 純潔のティアラ

 書類の量が多すぎると文句を言いながらも、今日の分はなんとか片付けた。


「これで終わりか?」


「はい、お疲れ様でした。この調子で片付けていただければ、お茶の時間もゆっくり取れますよ」


 普段から逃げ回らず片付ければ、当日中に終わる量しか回さない。側近としても文官のトップとしても優秀なアスタロトは、苦笑いしながら受け取った書類を確認した。


 彼が処理する量はこの倍近くに及ぶ。文官の教育と仕事の分担が進んだことで、仕事量はかなり削減された。書類が自動的に各部署に振り分けられるため、改革を進めたアスタロトも書類に追い回されることが減っている。


「リリスと夕食を……」


「本日はルーサルカ達と食べるそうです」


 思い出したように伝言文を取り出して、ルシファーの前に置いた。じっと見つめる先で、可愛らしい文字が残酷な内容を綴る。


 ルシファーが忙しいと聞いたので、ルーサルカ達と夕食を約束した。今夜は彼女達と食べる。イポスとヤンも一緒なので安心してね。


 要約するとこんな内容だった。


「……じゃあ、夕食食べない」


 拗ねた絶世の美貌の主は、わずかに唇を尖らせて不満を表明する。リリスが周囲と交流を持つのは望ましいし、長い付き合いになる側近達とも仲良くして欲しい。その反面、ずっと自分の腕に抱っこされる幼子でいて欲しかった。


「馬鹿なことを……さっさと食べて、お風呂の準備をして待てばいいではないですか」


「だって」


「だって、じゃありません。それとティアラのデザインに変更があったので、確認しておいてください」


 一枚の紙を手渡され、丁寧にカラーで描かれたデザイン画を眺める。以前とどこが違うのか、よく分からない。リリスの紋章は魔王に似せて作られた。透彫で作るティアラは、百合の花がアレンジして飾られている。


「花が違うのか」


「前の即位記念祭ではリリス姫が幼かったため、5枚の花弁を持つ薔薇の一種をデザイン化しましたが、今回は百合に変更したようです」


 別に大輪の薔薇でも構わないだろう。リリスは毎日の入浴に使うほど、薔薇が好きだった。


「薔薇は?」


「毒のある棘が鋭い植物ですし、魔王妃殿下のお立場を考えると……」


 濁した後半に、好ましくないというニュアンスが感じ取れた。見た目は大きく立派な薔薇だが、虫がつきやすく、鋭い棘で触れるものを傷つける。温室育ちで弱い植物、育てにくいと悪い印象もあり、棘に毒があった。


 触れるものを傷つける魔王妃というイメージは避けたかった。しかしそれを言うなら、百合も根に毒を持つ植物だ。


「百合も毒があるぞ」


「百合は根に毒がありますが……見えない場所に隠した毒は、魔王妃殿下のお立場に相応しいものではございませんか」


 薔薇は表で誰もが触れる位置に毒を持つが、百合は根を掘り起こして傷付けなければ毒に触れない。つまり誰彼構わず傷つける魔王妃は評判が悪いが、懐深くまで相手を受け入れたのち無礼を働いた者にちくりと毒をもたらすなら許容範囲という意味だった。


「よく考えるものだ」


 感心しきりで呟くと、アスタロトがくすくす笑いながら種明かしをした。


「実はこの話はアンナ嬢に聞いたのです。リリス姫なら、薔薇より百合の方が品があって相応しいと。異世界にある花言葉という概念で『純潔』を意味するそうですよ」


「それは知らなかった。彼女はなかなか博識だ」


「ええ。この世界に馴染むために努力しておりますし、近々手付金が整うので、家を買い取りたいそうです」


 着々と根付く準備を整える召喚者達にとって、今回は初の即位記念祭だ。魔族はもちろん、彼らも楽しめる祭りになればいいと、顔を見合わせた2人が表情を和らげた。


「ルシファー! お風呂に入りましょう!!」


 ノックと同時に飛び込んだリリスの一言に、ルシファーは手にしていたデザイン画をアスタロトに手渡し「許可する」と微笑む。手を広げたルシファーに抱きついたリリスは、ほんのりと甘い香りがした。


「アシュタ、また明日ね」


 ひらひら手を振った彼女に引っ張られる形で、ルシファーが執務室を出た。残されたデザイン画に許可の印を押したアスタロトは、窓の外の月に目を向ける。


 浮かんだ月はどちらも美しく、平和な世界を照らしていた。

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