72. そもそも、リリスちゃんって……

 やっと人族の処断が終わったと思えば、後片付けの前に裸の陛下が現れた。それも同じく裸のリリス嬢を連れて――何をしているのかと注意しても聞いていない。彼女の左手の痣を気にする様子に、勇者の紋章の心配をしているのだと気付いた。


 正直、それほど似ているとは思わない。現時点ではぶつけた痣の可能性の方が高いが、陛下はうろたえて風呂から転移するほど慌てていた。


 途中で周囲の惨状に気付いたのか、リリス嬢を抱き締めて消えてしまったが……。


 それほど酷い状況でしたかね。見回した広場は真っ赤に染められている。ぬめる血の独特な臭いを嗅ぎつけた魔獣が集まってきた。この場所でバラすことが多いので、彼らもおすそ分けを期待しているのだろう。


「掃除は任せます」


 あちこちバラバラにしただけで、パーツはすべて揃っている。彼らの食事に支障はないでしょう。笑顔でそう告げると、アスタロトは森を後にした。


 城の中庭に転移すれば、泣き顔のベルゼビュートが窓から助けを求めている。何をしているんでしょうね、あの人は。溜め息をついてベールの執務室へ向かうと、逃げられないように足を鎖で繋がれたベルゼビュートが書類に署名をしていた。


 いつにもまして汚い文字だが、もともと彼女は数字以外に興味を持たない。経理を任せれば一流の計算速度と驚く視点の持ち主だが、文字を書かせると本当に汚くて解読不可能だった。この書類も書き直しが必要かも知れない。


「片付きましたか? アスタロト」


「ええ。すべて定めの通りに」


 魔王であるルシファーは知らないが、4人の大公が定めた処断は国の法として効力を発する。勇者と戦うのは魔王の宿命だが、今回もまた偽者だった。ましてや魔王の動揺を誘うために民を攻撃するなど言語道断だ。


 逆凪で王の身に傷をつけた彼らは、その命をもって償わせるのが相当だと判断したアスタロトを他の大公も支持している。


「それより……私はもうダメ」


 しくしく泣きながらペンを握るベルゼビュートが、残った書類をアスタロトへ差し出す。目の前に積まれた未処理の書類より、署名された書類の方が少なかった。逆に嬉々として署名をするルキフェルは、内容に目を通して修正する余裕がある。


 ベールも淡々と書類に署名していたが、手を止めて顔を上げた。


「何か、ありましたね」


 疑問ではなく確定で言い切ったベールの鋭さに、アスタロトは静かに話を切り出す。これは大公以外に漏らしてはならない機密事項だと前置きして、さきほどの痣について報告した。


「リリス嬢の左手の甲に不明瞭な痣が浮かびました。人族のみの現象で記録はありませんが、勇者の紋章である可能性が高いと思われます」


 ルキフェルは驚いて目を見開き、ベルゼビュートは口元を両手で押さえた。一番落ち着いて聞いたベールの手元でペンが砕ける。


「つまり……彼女は敵ですか」


 ベールが乾いた声で呟く。しんとした部屋の中、アスタロトは迷いながら言葉を選んだ。


「陛下には『様子見しかない』とお伝えしましたが、私は勇者の紋章だと確信しています。問題は、陛下がリリス嬢を溺愛している現状です」


「リリス嬢と戦う未来があっても、陛下は彼女の手を離さないでしょうね」


 同意したベールも溜め息を吐く。


「リリスはルシファーを殺したりしない」


 ルキフェルの言葉に、誰もが「そうであって欲しい」と願う。しかし勇者の仕組みが分からない。彼や彼女らは魔王を殺すために武器を持って攻撃してきた。その感情が人族の間で育つ中で培われるものか、何らかのシステムで強制的に発動するのか。


「……あの」


 恐る恐ると言った感じで、ベルゼビュートが声を上げた。さりげなく自分の前の書類を押しやりながら、ピンクの巻き毛を揺らして尋ねる。


「そもそも、リリスちゃんって……魔族じゃないんですか?」


「「「え!?」」」


「だって魔族と人族の子でしょう? あの肌の色からしても、魔族なんじゃ……」


 自信がないので尻すぼみになる彼女は、最後まで言い切らずに口をつぐんだ。

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