73. だってパパは魔王だろ?

「可能性は……あります」


「みな、勝手に人族だと決め付けていましたね」


「……そうだね」


 目から鱗だ。この場で一番足手纏いな彼女が、一番的確な指摘をした。


 各々が考え込んでしまったため、そっと逃げようとしたベルゼビュートだが、足に絡んだ鎖を忘れていた。つんのめって顔から転ぶが、大きな胸から着地する。お陰で顔は無事だった。派手な音と散らばった書類に、ベールが苦笑いして首を横に振る。


「わかりました。もう貴女は帰って構いません」(いても邪魔ですから)


「やったわ!」


 容赦ない言葉に他の文官ならしょげるところを、無邪気に喜ぶベルゼビュート。ルキフェルが鍵で鎖を外すと、そのまま外へ逃げていった。あれでも戦闘能力は高く、意外なほどえげつない方法で敵を排除する。大公としての最低限の役目を果たしているため、呆れながらもベールは彼女が散らかした書類を拾い始めた。


 隣ですでに書類を揃えるアスタロトが、決意したように立ち上がる。


「確認は早いほうがいいでしょう」


 人族と魔族の間に生まれた子は、自動的に人族に分類してきた。理由は母親の種族だ。ハーフとなる子は父親が魔族、母親が人族である場合がほとんどだった。逃げ出した魔族が人族を襲うことでハーフが生まれる。事例としては魔族の男が人族の女を襲うパターンが一般的だった。


 リリス嬢も同じだと考えたため、彼女の魔力が高いことを承知の上で人族に分類したのだ。その分類が間違っていたとしたら……。


「お願いします」


 ルシファーに怨まれるかも知れない嫌な役を自ら引き受けたアスタロトへ、ベールは申し訳なさそうに眉尻を下げた。複雑そうな顔をしたルキフェルが、ベールの手をそっと握る。


「魔族ならいいのですが」


 それならば、左手の紋章はただの痣で済む。鮮明になったとしても、人族でなければ問題はなかった。なぜか『勇者は人族からしか生まれない』のだから。






 リリスを膝の上に乗せて、好きに食事をさせる。最低限のマナーはアスタロトが教えたため、ぼろぼろ零したり、食べ物を握って遊ぶこともなくなった。


「パパ、あーんして」


「あーん」


 器用にフォークに刺したミニトマトを差し出すリリスから、ぱくりと頬張って笑顔を向ける。嬉しそうに自分もミニトマトを食べようとするが、上手に刺せないらしい。ころころ転がるミニトマトを、横からルシファーはフォークで捕まえた。


「ほら、あーん」


「あぁん」


 小さな口にいっぱいトマトを頬張ったリリスが、もぐもぐと口を動かす。大きすぎたのか、いつまでも口を動かす頬は膨らんでいた。


「リリスは可愛いなぁ」


 意図せずに言葉がこぼれだす。ごくんと飲み込んだリリスが、今度はグリーンピースに挑戦した。さすがに小さすぎて難しいのではと身を乗り出すと、


「パパは、めっ!」


 手出し禁止と言い渡されて、再び椅子に落ち着く。膝の上で足をぶらぶらさせながら、リリスは必死にグリーンピースを突いていた。


「ねえ、リリス」


「なぁに?」


「もし……勇者になれるなら、リリスは勇者になりたいか?」


 何度も読み聞かせたお気に入りの本を取り寄せる。リリス用の書棚から引っ張り出した本は、繰り返し開いたため背表紙が傷んでいた。毎晩のようにせがんだ本を見て、リリスは大きな赤い瞳を瞬く。


「どうちて?」


 可愛すぎる、噛んだ! リリスの些細な仕草に悶えながら、ルシファーは鼻血をハンカチで押さえながら答える。


「パパは魔王だろ? もしリリスが勇者になるなら考えないといけないから」


 子供相手だが誤魔化さずに説明する。幼子であっても、リリスは理解すると思う。いつもより低いルシファーの声に、沈んだ雰囲気を感じ取ったリリスが首を横に振った。


「やーよ。リリスはゆーしゃに、なんないもん」


「でもこの本好きだったろ?」


 彼女がお気に入りの最後の挿絵、保育園の入り口にも彫刻された女勇者と魔王の戦いのシーンを開いて見せた。すると、じっと絵を見たリリスがくしゃりと顔を歪ませる。


「だって、パパがまけるの……やだ」

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