1210. 誰が行くかで揉めました

 復興計画や被害報告の書類を手にしたアスタロトは、思わぬ言葉に間抜けな声を上げた。同じように聞き返したルシファーと期せずしてハモる。疑問だらけの顔でリリスを見つめるルシファーの横を通り抜け、まず書類を机に置いた。両手が空いたところで、振り返って微笑みかける。


「リリス姫。森の中に入れるのですか?」


 この場合の森の中は、魔の森に踏み込むという単純な話ではない。魔の森をひとつの生命体として考え、母と称えるのは魔族なら当然の認識だった。1本の大木であっても、母なる森の爪や髪の毛のように扱ってきたのだ。数万年に渡る調査研究や付き合いの結果、魔王ルシファーをはじめとした大公や長寿魔族は『魔の森は概念のひとつ』と考えるようになっていた。


 理由として、魔の森はひとつの生命体だが個体ではないこと。森の外側の境目はあるが、森自体は個の集まりという考え方だ。森の内側が存在すること自体、リリスが口にするまで認識されなかった。次元が違うのか、世界がズレているのか。その領域に踏み込んだ魔族は誰もいない。


「入れるわ。入り口が難しいだけよ」


 けろりと言い切られ、アスタロトは考え込んだ。隣でルシファーが新たな疑問を口にする。


「誰でも入れるのか?」


「魔の森が拒まなければ入れると思うけど、私も試したことないもの」


 分からない。素直にそう告げ、リリスはにっこり笑った。ルシファーの手を握って振りながら、楽しそうにその場でくるりと回る。


「ルシファーなら入れるわよ。魔の森の最愛の子だもの」


 自信たっぷりなリリスの隣で、アスタロトが呻いた。現状、ルシファーの同行を認めるのは賭けに近い。中に入ったルシファーと連絡を取る方法がないのに、彼を見送るのは不安しか残らない。ましてや今は数千年に一度の災害が起こり、復旧が急がれる状況だった。指揮を執るのは現場の貴族や大公であっても、魔王の不在は士気に影響する。


「今は難しいですね」


 ルキフェルやベールと相談しなくてはならないし、連絡を取れるとしたらベルゼビュートが最適か。いっそ彼女を送り込んでしまおうか。いい加減なベルゼビュートの性格を考えると、調査は無理だろう。様々な憶測と悩みで眉を寄せるアスタロトを覗き込み、リリスは瞬きしてから呟いた。


「そんなに心配ならアシュタもくればいいのよ」


「簡単そうに仰いますが、大変な時期ですから」


 大公と魔王が消えたら、絶対に手が足りない。混乱を許せる状況ではないため、延期してもらうしかないか。アスタロトの出した結論を知っているかのように、ルシファーが肩を竦めた。


「オレとリリスだけで行こう」


「いえいえ、何を……」


 この馬鹿、頭がおかしいのではありませんか。思わず小声で罵った側近に、ルシファーの顔が引き攣る。もっとも被害が少ないと思われる案を提示したのに、なぜか全力で否定された。噛み合わない不毛なやり取りを終わらせたのは、ルキフェルだった。


「扉開けたまま、何やってんの。全部外に駄々洩れなんだけど?」


 いつから聞いていたのか、扉に手を掛けて苦笑いするルキフェルは、手にした書類を机の上に積み重ねた。机の端に行儀悪く座り、首を傾げて提案した。


「安心して。僕がリリスと行くから」


「ダメだ」


「許可できません」


 ルシファーとアスタロトが一斉に反対し、リリスはふふっと忍び笑う。ルキフェルの表情を見れば、本気の発言じゃないと知れるのに。どうして2人がそんなにムキになるのかしら。リリスはルキフェルの真似をしてみることにした。


「じゃあ、私だけで行くわ」


「それなら……」


「絶対に許さない!!」


 許可を出しかけた側近を睨みつけ、魔王ルシファーは大声で遮った。それからひとつ息を吐き出し、宣言した。


「オレがリリスと行く。反対は許さない」

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