319. そうだ! 舞踏会を開こう

「舞踏会を開こうと思う!」


 本日最後の書類にサインをするなり、ルシファーは満面の笑みで提案する。サインの横に大きな印章が押されて、完成した書類を受け取るアスタロトが首を傾げた。


「突然どうされました?」


 数年前に「面倒だからしばらく中止」を命じたのは、目の前にいる魔王本人だ。まだリリスが幼かったこともあり、参加したルシファーの元へダンスの誘いが殺到した。本人はけんもほろろに断ったが、よほど鬱陶しかったのだろう。


 魔王城での開催は中止を宣言したため、今は各貴族家がそれぞれに夜会を開くのが一般的だ。


 舞踏会や夜会の一番の目的は、種族同士の友好を深め、他種族を理解し、何よりも適齢期の子供達の結婚相手を探すことだった。そのため婚活パーティーと化した夜会には、種族限定のつどいや仮面舞踏会など怪しげなものも開催されている。


 顔を知らずに知り合って相性が良ければ結婚を考える仮面舞踏会は、確かに異種族同士の婚活に一役買っているらしい。普段は接点がない種族同士での結婚が増えたのだ。


 魔族の婚姻は、片親の特性のみ引き継いだ子が生まれるので、魔族の結婚に種族の壁はなかった。例えば竜族と鳳凰が結婚しても、生まれる子は鳳凰かドラゴンのどちらかで、鳳凰の特性を持ったドラゴンが生まれた事例はない。混血が可能なのは魔族と人族の間だけだった。


「うん、リリスが一緒に踊りたいって」


 幼い口調に戻ってご機嫌で告げたルシファーは、そのあと一人で照れた。絶世の美貌から色気を無駄に垂れ流すのは、周囲の目の毒なのでやめて欲しい。見慣れたアスタロトでさえ、ちょっと誘惑されそうだ。


「リリス嬢と踊るなら、舞踏会でなくとも……そうですね、練習に付き合うなどの方法もありますよ」


 出来るだけ周囲に被害をもたらさない方法を提案したが、うっとりした顔の魔王様は聞いていない。それどころか、意識はすでに開催前の舞踏会会場へ飛んでいた。


「黒髪に真珠を散らして、いや……可憐な白薔薇でもいい。ドレスは彼女の好きなピンク? 柔らかな緑もいいな。いっそアイボリーも。公的な場だと考えるとシックな色も悪くない」


「陛下……聞いておられますか? ルシファー様!」


「ん?」


「ドレス選びより先に、舞踏会に必要な招待状や料理の手配もありますし……すぐには無理ですから」


 きょとんとした顔でアスタロトを見上げたルシファーは、机の上に肘をついた。その手に顎を乗せて、不思議そうに呟く。


「以前は簡単そうに開催してたが、今回はそんなに大変なのか?」


「っ……ここ数年は開催していませんでしたからね」


 思わぬ反撃に一瞬言葉が詰まる。確かに魔王城の侍従や侍女は舞踏会や夜会慣れしていた。以前は魔王ルシファーの御世が安泰なのを祝って、なんだかんだと開催されてきた経緯がある。専門の担当事務官もいるので、命令すれば明日にも開催は可能だった。


 だが問題がひとつある。


「ルシファー様、昨年は大きな事故や災害がありましたので」


 遠回しに舞踏会はもう少し延期したらどうかと意見する。アスタロトの赤い瞳を見ながら、ルシファーは無邪気に言い放った。


「何をおかしなことを。前に8年ほど雨が止まずに大騒ぎになったが、あの年もパーティーをしてたじゃないか。えっと……厄払い、だったか。今回もそれに該当するだろう」


 余計なことばかり記憶力を発揮する主人ににっこり笑い、アスタロトは一度引き下がった。


「かしこまりました。ではベール大公と相談してきますね」


「頼んだ」


 ひるむ様子のないルシファーの手元から書類をすべて回収して部屋を出るアスタロトの表情は、苦々しい感情を隠せずにいた。笑顔で扉を閉めた直後、執務室の扉を守る衛兵は「ひっ」と悲鳴を上げる。それほどにアスタロトの表情は険しい。


「……なんとかしなくては」


 足早にベールとルキフェルの執務室へ向かうアスタロトの背中を見送った衛兵達は、恐怖が去った安堵から扉に寄り掛かり、最終的に床へ座り込んだ。「怖かった」と口を揃えた衛兵の姿から、城下町ダークプレイスには舞踏会開催通知に合わせた新しい噂が広がる。


 曰く「魔王陛下がアスタロト大公閣下にダンスを申し込み、手ひどく断られたようだ」と。

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