81章 予行演習? 誰の入れ知恵だ

1117. 育児の先輩のアドバイス

「いてっ!」


 噛みつかれたルシファーが眉尻を下げる。結界を突き破ったぞ? 噛まれたのはリリス以来だが、魔の森関連の子どもは魔王の結界を通過できるらしい。血の滲む指を回収したルシファーに、ベルゼビュートが呆れ顔で説明を始めた。


「この子が、いろんな人を噛むの。侍女をはじめとして、あちこちから苦情が上がってるわ」


 外回りの仕事が終わって戻ってみれば、予想外の役目を押し付けられた彼女はお冠だ。子どもの世話は苦手なのに、一番暇な大公という状況から押し付けられた。挙句、レラジェに関する苦情がすべて舞い込むことになったのだ。


「被害者の治療は?」


「あたくしがしたわ」


 アスタロトの采配は間違ってなかった。治癒がもっとも得意な大公を、噛みつく赤子の世話役にすることで、被害者救済が迅速に機能している。有能な側近に内心で賛辞を送りながら、ルシファーはベビーベッドの中を覗き込んだ。


「あら、可愛いじゃない。レラジェは歯が痒いんじゃない?」


 言われて、1歳前後なら可能性があると気づいた。リリスの面倒をみたのは十数年前なので、すっかり忘れていた。レラジェが生まれたときに用意させた道具箱の中から、おしゃぶりを見つける。噛まれないように注意しながら、両手を伸ばすレラジェの口元に差し出した。


 素直にぱくりと咥えたレラジェは、もぐもぐとゴム部分を噛んでいる。これで夜泣きも減る可能性があるな。リリスは赤子の時だけだったが、レラジェは一気に1歳からスタートしたせいか。赤子そのものな言動を繰り返す。夜泣きもその一つだった。


「今夜は私が見るから、ベルゼ姉さんは休んでいいわよ」


「本当? ありがとう!!」


 感謝しながら撤回される前にと、彼女は小躍りしながら出て行った。ルシファーが止める間もなく決まった出来事に、茫然とする。


「リリス?」


「あら、いいじゃない。予行演習だもの」


 誰にそんな話を吹き込まれた? 赤くなったり青くなったり忙しいルシファーをよそに、リリスは覗き込んだベビーベッドのレラジェに話しかける。


「弟だけど、今日と明日は私がママで、ルシファーがパパね」


「……パパと呼んでいいのは、リリスだけだ」


 妙なこだわりを見せるルシファーに、からからとリリスは明るく笑った。それから「ルーね」と呼び方を再提案する。出来ればそれもリリス専用にしたいが……言い出せばキリがない。妥協したルシファーをよそに、リリスは無造作にレラジェを抱き上げた。


 おしゃぶりを噛んでいるためか、レラジェは機嫌がよかった。ぺたぺたとリリスの胸を触り、頬にすり寄る。


「くそっ……うらやま……」


 ぐっと飲み込んだが、本音はほとんど漏れている。ルシファーの苦悩をよそに、リリスはズレた子守唄を歌いながら体を揺らした。意識が赤子に戻ったようで、レラジェは特に抵抗する様子なく目を閉じる。しばらくすると、口からおしゃぶりが落ちた。咄嗟に受け止める。


 涎がべっとりだが、リリスもルシファーも気にしなかった。ルシファーにしたら、慣れたものだ。かつてリリスに髪を涎まみれにされたり、軽く食べられた過去を持つ。今さら目くじらを立てる話ではない上、そもそも赤子が何もできずに散らかすのは当然と認識していた。


「ベルゼの奴、最後におむつを替えたのはいつだ?」


 何も言っていかなかった。眉を寄せたルシファーだが、ぷーんと漂う臭いで気づく。この臭いは……。


「我が君、この赤子……」


「それ以上言うな」


 てきぱきとおむつの準備をしながら、机の上におむつ替え用のシートを敷く。リリスから受け取った赤子のおむつを交換し、手慣れた様子でお尻も清めた。この点、魔族は魔法が使えるので楽だ。軽く拭いた後、浄化しておいた。


「ルシファー、慣れてるのね」


「ああ、リリスもこうやって……」


「きゃぁ!! えっち!!」


 交換してやったものだ。そう言い切る前に、ぱちんと頬に平手が襲った。驚く間にリリスはレラジェを連れて、部屋の隅まで逃げている。いや、だって……拾った子の世話をしただけだし……それにリリスの世話を誰かに任せたくなかったのに。


 しょんぼりするルシファーを、ヤンが後ろから包み込んだ。


「我が君、これが育児の厳しさですぞ。大きくなれば、こんなものです」


 育児の先輩からのアドバイスに、わかってると溜め息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る