1118. 喧嘩するなら処分します

 リリスの攻撃は魔力の有無に関係なく、魔王の結界を通り抜ける。おかげで……いや、そのせいで頬にくっきり紅葉の手形がついた。唇を尖らせて怒るリリス、赤子を抱っこした頬の赤い魔王。噂になる要素たっぷりだが、今回はあまり広がらなかった。


 というのも、怖い釘が刺されたからだ。


「ルシファー様、リリス様。喧嘩するならレラジェはしますよ」


 アスタロトが太い五寸釘を突き立てた感じだ。周囲に直接注意しなくても、これは効果が高かった。うっかり奇妙な噂がたてば、赤子がアスタロト大公に殺される。処分の意味を、ほぼ全員が「殺処分」と受け取った。残忍性で有名なため、どこからも訂正が入らない。


 城下町で小さな祭りがあるとはしゃいでいたベルゼビュートを呼び戻すのも気が引け、ルシファーは素直に謝ることにした。


「悪かった」


 何も悪いことをした覚えはないが、誤解させた罪だと自分を納得させる。リリスもおずおずとルシファーを見上げ、右手をそっと頬に這わせた。


「私もごめんなさい。こんなに強く叩くことなかったわ」


 なんとも複雑だが、ルシファーは許した。というか、強くなくても叩かれたのは同じらしい。見たと言っても赤子の尻だ。欲情する余地もなく、世話をした当初は恋心もなかった。拾ったヤンの毛繕いを手伝うブラッシング程度の感覚しかない。しかしルシファーはそれを説明しなかった。


 もし説明していたら、反対の頬にも紅葉の平手を食らっただろう。


「我が君、レラジェはお二人の子供みたいですな」


 微笑ましい。ヤンがそう呟き、抱いたレラジェを覗き込む。リリスと同じ黒髪、オレによく似た顔立ち……リリスとの間に子供が生まれたら、こんな感じか。卵が割れた頃に思った感想が蘇る。


「そうだな。そう思うと可愛い」


「私の弟だけど、大きくなるまで子供でもいいわよ」


「ケンカしなければご自由にどうぞ」


 苦笑いするアスタロトの後ろから、アデーレが笑いながら裏事情を暴露した。


「そんな言い方して。陛下に似てるから可愛いって言えばいいのに」


 無言になったアスタロトの顔が強張る。怒っているように見えるが、図星を差された時の反応だ。珍しい物を見た。思わず凝視してしまい、睨まれて慌てて目を反らす。


 魔の森の子供と判明した頃から、アスタロトは格段にレラジェの処遇に甘くなった。だが、確かにオレに似ていると気づいた時に目を細めていたぞ。あれは昔を思い出して懐かしんでいたのか。まだ子供姿の頃から知られているルシファーは、あの頃の意識はあまりない。


 アスタロトやベールが保護しようとし、ベルゼビュートがちょっかい出した話も人聞き程度だった。考えてみれば、彼らにずっと支えられてきたのだ。多少口煩く感じても邪険にするのは狭量過ぎるな。反省しながら、レラジェの温もりに気づく。


「あ、おしっこした」


 じわっと広がるこの温もりは記憶にある。指摘したルシファーは、当たり前のようにおむつを取り出す。赤子の頃は男女の差を考えず使えるため、リリスの時と同じおむつを使っていた。一度処分したのだが、その後リリスが赤子還りしたので、大急ぎで再び買い集めた残りだ。


「陛下、手際がいいですわね」


 アデーレが感心する速さでおむつを交換し、ぽいっと捨てる。火口へ通じるゴミ処分用の転移魔法陣を、おむつ捨てに活用する魔王に周囲は苦笑いした。濡れたおむつを替えてもらい、レラジェは機嫌よく指を咥える。


「ルシファー、さっきのおしゃぶりは?」


「ああ、ここだ」


 取り出して差し出すと、レラジェはぱくりと咥えた。ご機嫌で両手を振り回す姿に、周囲は十数年前の光景を思い出す。――あの頃のリリス様にそっくりだ。しかし賢明にも声にだした勇者は存在しなかった。

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