594. 加護がない種族

 エスコートされるリリスが先に腰掛け、隣にルシファーが座る。一礼した大公4人が着座するのを待って、リリスが口を開いた。


「私が知っているのは、魔の森が持っている記憶なの。だから皆が知っている話と違うかも知れない」


 前置きして、リリスはひとつ息を吸い込んだ。口角を持ち上げて、意図的に笑みを作る。多少緊張しているのを自覚したリリスの苦肉の策だが、ルシファーが手を伸ばした。


「リリス」


 心配そうなルシファーの膝の上で、ぎゅっと手を繋いだ。指を絡めて繋ぎ、今度は作らずに笑みを浮かべる。


「勇者の痣について確定していた情報は、痣は左手の甲、3歳前後の人族の子に現れる。この条件だけよ」


 頷いたベールが口を挟んだ。


「そうですね。付け足すなら、前の勇者が死ねば次の勇者が生まれることくらいでしょうか」


 これについては正確な情報がないので、検討する条件から外されてきた。前の勇者が死んで、すぐに現れた場合もあれば、数十年現れない事例もあったという。人族の記録なので当てにならないが、死んだとされた勇者が逃げて生き延びた可能性もあった。


 初代勇者が突然現れたのは、ルシファーが魔王となった500年ほど後だ。その前は人族自体が存在しなかったため、勇者と名乗る者もいなかった。


「痣を継承する人が死ぬと、次の人に現れる。いつも3歳前後の子供が多いけど、これはまだ感情が未熟な子供が選ばれた可能性もあるね」


 ルキフェルが淡々と指摘する。今までは世界の意思が勇者を生み出すのだと思われてきた。つまり『起こるべくして起こる自然現象』のような感覚だ。だから『勇者の相手は魔王が務める』ことも、疑問に思わなかった。だが、勇者の存在や痣が『呪い』ならば『思い込まされた』可能性がある。


 魔王のついでないとしたら、勇者とは何か。


「私は呪われたからわかるけれど……あれは魔王が対象じゃないわ」


 魔王ルシファーを呪う力なら、魔の森の分身であるリリスが身のうちに取り込んだ時点で反発する。しかし共生した上、リリスはルシファーと戦うことを拒絶できた。洗脳するほどの強制力はないのだ。


「リリスちゃんに痣が現れたんだから、他の魔族にも同じことが起きてた可能性はないかしら」


 ベルゼビュートの指摘に、ルキフェルが仮説を口にした。


「僕はいたと思う。勇者のいない期間が数百年に及ぶことが何回かあったよね。そのあたりで、誰か魔族が継承したんじゃないかな。でも勇者の痣だと思わないから、報告されずに終わった」


 勇者の痣は人族のみ――その思い込みから、魔族の左手に出た痣は見過ごされた。獣人や鱗がある種族なら、痣が見えなかった可能性もある。たとえ人型の種族で肌に痣が浮いても、どこかでケガを負ったと考えて放置した。痛みもない痣など、誰も気にしなかっただろう。


 勇者の記録が途絶えた数百年、人は偽物の勇者を送り込んできた。そのため勇者の伝承は途絶えず、曖昧ながらも痣の話は後世に伝わった……いや、痣自体に何らかの機能があり、勇者という存在を伝え続けたのかも知れない。


「魔族の記録に人族が出てきたのは、初代勇者との遭遇が最初です。つまり我々は勇者と人族の関連を、この時点で意識に擦り込まれたのでしょう」


 魔王と戦う宿命を帯びた勇者は、人族から生まれると――強引に思い込まされた。ずっと黙っていたアスタロトが、リリスに確認する。


「人族は原始の種族ではない、ということですか」


 質問というより、確信した答えを口にしたアスタロトに、大公3人が顔を見合わせた。いつの間にか原始の種族とされてきたが、辻褄が合わないのだ。魔王が誕生する前から存在するから『原始の種族』なのであり、それ以降存在を確認された種族は含まれない。つまり魔王即位後に発見された人族が、原始の種族であるはずはない。


 どこで話がすり替わったのか。思い込まされたタイミングもわからず、ベールは唇を噛んだ。向かいで考え込むベルゼビュートも渋い顔をしている。アスタロトは指を噛んで少し黙り、再び顔をあげた。


 紅茶を口元に運んで香りと味を堪能したリリスは、赤い花模様のカップをソーサーに戻す。


「人族は魔力が弱く、寿命も違う。魔の森で生きられない唯一の種族よ。彼らにのだから」


 その宣言の意味に気づいたルシファーが息を飲んだ。

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