852. 魔族の恋愛守り

 魔王妃殿下の絵姿が城下町に出回ったのは、数日後のことだった。謁見の間の片隅で絵師が必死に描いたリリスの絵に、ようやくルシファーが頷いたのだ。許可が出るまで30枚近く描かされた絵師は、自信作を大量に複製して世にばら撒いた。


 リリスとルシファーが並んだ絵姿と同時配布で、城下町の人々によって大量に複製される。複製魔法陣を使っての複製が許可されたので、人々は一家に一枚以上の複製を行った。販売予定はなく、あくまでも幸せのおすそ分けなのだ。


 この絵姿は「魔族なら一枚は持っている」と言われるほど普及し、結婚式が行われるまでの期間、魔族の中で恋愛運のお守りと呼ばれた。


 なお、祝いの挨拶を受ける謁見自体は3日目の午後になって、なんとか全員消化した。足が疲れると各々が行った対策は改良され、今後の謁見に活用されることに決まる。それくらいなら謁見の回数を減らせばいいと呟いたルシファーに、側近たちはいい笑顔で言い切った。


「なるほど、よいお考えです」


「でしたらルシファー様が、もっと頻繁ひんぱんに視察におもむけばよいのですよ」


 ベールとアスタロトに挟まれ、ルシファーは青ざめた。反論が許される雰囲気ではない。簡単な話と笑顔で言われたが、視察へ駆り出されるとリリスとの時間が削られる。婚約者として公式に発表したのだから、数年はいちゃいちゃと過ごしたかった。


 8万年も働いたんだから、そのくらいの褒美があっても……泣きたい気分で反論を練っていると、表情から察したアスタロトがくすくす笑い出した。隣のベールも口元を押さえて笑っている。


「ルシファー様、何もお1人で行けとは言いません。魔王妃殿下に魔族の領地をすべてお見せし、支配地域を理解するための研修が必要でしょう」


「い、いいのか?」


 リリスが一緒なら、書類整理より現場研修がいい。視察も悪くない。現金なことに表情が明るくなった魔王へ、側近達は大きく頷いた。


「護衛はイポスとベルゼビュート、ヤンでしょうか。アラエルがピヨと参加を希望していますし、大公女達もお連れください」


「わかった」


 大所帯になるが、リリスも仲のいい側近や護衛が一緒なら安心できる。なにより民へのお披露目を兼ねた視察は、ルシファーにとって可愛い婚約者自慢でもあった。


「日程と行き先は調整して都度ご連絡します。まずは今回世話をかけた神龍族の温泉街からどうぞ」


 思いがけないご褒美に喜ぶルシファーが、リリスに話してくると部屋を出て行った。お姫様は現在、大公女達と新しいお習い事に挑戦中だ。別室のリリスを訪問するチャンスだと、ルシファーはいそいそと部屋を出た。


「事務仕事の調整は可能ですか?」


 ベールが心配そうにアスタロトへ尋ねた。ルシファーが毎日処理していた書類の数は多く、それをアスタロトが代理として扱うなら、大公3人の署名が必要となる。ベルゼビュートは書類仕事に役立たないので護衛として放り出すが、そうなればルキフェルも署名作業に追われる。


「問題ありません。事務関係の決裁権を分担しました。各部署の長の署名で収まるよう、法改正を行い、その旨の承認書類はルシファー様の署名と押印を頂きました」


 魔王の権限を減らしたのではなく、一時的に権限を委任する改正を行った。これによりルシファーを含めた一部に偏っていた書類処理が分散される。さらに新しく雇ったアベルや文官達の仕事を作り出した。委任であるため、法の中で最高責任者はルシファーのままだ。


 詳細を説明され、ベールは穏やかな表情で頷いた。権限を魔王から取り上げるとなれば、反対意見も多数出ただろう。しかし委任であり、いつでもルシファーの手に権限を取り戻せる制度は、魔王一筋の過激な貴族も納得するはずだ。


「視察場所の選定に入りますか」


「ええ。今後の施策として……こんな提案もできますが、いかがでしょう」


 こそこそと話し合う2人は、やがて納得して頷いた。視察に赴くルシファーの負担が増えるが、事務から解放した上で婚前旅行を認めるのだから反対できないだろう。満足そうな2人が噂する前に、ルシファーは大きなくしゃみをひとつ。


「風邪かしら」


 リリスにハンカチを渡され、首をかしげるものの……原因は不明のままだった。

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