636. 不愉快極まりない案件

 キマイラに似た合成魔術で、戦闘に特化した異種族を作り出そうとする愚か者を纏めて縛り上げ、ベールは呆れまじりの溜め息を吐いた。魔法陣に関しては彼らより早くコピーして、しっかり痕跡を追えないように潰してある。事後処理まで完璧なのだが、引き上げることが出来ずにいた。


 砦を落としに行った魔王軍は楽しんでいるらしく、爆発音や破壊音が聞こえるものの誰も帰ってこない。音が途絶えるまで帰ってこないと予想はつくが……獲物を狩りに行った魔獣もまだ遊び足りない様子で、つんざくような悲鳴が周囲に届いていた。


 響き渡る人族の悲鳴を聞きながら、時間を気にして空を見上げる。ルキフェルはもう戻ったでしょうか。まるで我が子か恋人のように、過保護に接してしまう。もう子供の姿ではなく立派な青年竜なのだから、あまり構いすぎてはいけないと思う反面、どうしても手が出るのだ。


 早朝の空はやや赤みが差して、交じり合った空はピンクと紫がまだらになっていた。もう少し遅い時間なら、朝焼けが見事だろう。夜闇が明け始めた空に、太陽が顔を見せた。


 空中に浮かぶベールの足元には、まだ誰も戻ってこない。


「通達だけして先に帰りましょうか」


 ひらひらと右手で招き寄せると、洒落た鳥かごに入れた獲物が近づく。青ざめて失神する者もいれば、口から泡を吹きながら罵る者、じたばた暴れて逃げようと試みる者……どれも愚か者に過ぎないが、個性はあるらしい。興味深そうに覗いたあと、ベールは眉を寄せた。


「この程度の手土産では、見劣りします」


 ルキフェルが捕まえる獲物は、逸れドラゴンの群れ。ベルゼビュートも以前から目をつけていた追放者達、おそらくアスタロトは魔王城襲撃を計画中のオロチか。キマイラもどきを作る人族の魔術師だけでは、どうも足りない気がしてきた。


「ベール様! これは!! と、とにかくお越しください!」


 呼び出す部下の声を辿って転移する。魔術師6人が入った鳥かごは空中に置き去りだが、気にならなかった。死んでいても構わないし、ドラゴンがぶつかっても落ちないはずだ。転移先では、呼んだエドモンドが青ざめた顔で立ち尽くしていた。薄暗い部屋は異臭がする。


「どうしまし……え?」


 地下牢らしき小部屋に押し込められた赤子と、獣人の娘がいた。獣人の娘は裸体だったらしく、複数の軍服が提供されている。蹲った彼女はエドモンドの大きな軍服を羽織り、はみ出した足を別の軍服で覆う。震えながら俯く彼女の足に、鎖の痕があった。


 汚れた牢は泥と糞尿が染みこみ、とても人が住まう環境と思えない。食事や水用だろうか。金属製の小さな器が転がっていた。部屋にあるのはその程度で、赤子もぼろ布を放り込んだ粗末な木箱に置かれただけ。


「……報告を」


 怒りで声がかすれる。ベールの握りしめた拳が小刻みに震えた。判断を狂わせないため、出来るだけ冷静さを保たなくてはならない。だが目に入った情報から判断できる状況は、人道にもとる行為が実行されたという現実だけ。


「は、はい。砦を壊していたところ、1人が「赤子の鳴き声がする」と言い出しました。そのため周辺の施設内を隅々まで調べた結果……彼女らと赤子を見つけてお呼びした次第です」


「よくやりました、ご苦労」


 労う声すら震えるほど、感情がにじみ出てしまう。膨れ上がる激情が形になったように、ベールの銀髪の間から角が覗いた。心の乱れは魔力の乱れに繋がる。分かっていても、憎悪が身体に変化を促す。心が命じるままに人族を引き裂けと叫ぶ感情を、深呼吸で抑えつけた。


 ふぅ……長い息を吐いて、鋭い爪が食い込んだ拳を無理やり解く。突き刺さった爪は赤く染まり、ぽたりと血を落とした。


「お嬢さん、ご家族はいらっしゃいますか?」


 怯えさせないよう、牢の汚れた床に膝をつく。ガタイの大きな軍服男に囲まれて委縮していた女性は、物腰柔らかなベールの所作におずおずと顔を上げ……見惚れてから首を横に振った。


「そうですか」


 相槌を打ちながら、頭の中に過ったのは置いてきた魔術師達。彼らが研究していた内容はキマイラもどきを作る魔法陣だが、実験に使われた魔族や魔物は成人ばかりだ。別の研究グループが存在したのか、それとも魔術師達がこちらにも絡んでいたか。どちらにしても不愉快極まりない案件だった。

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