141. 何とかしろ、近づけるな!

「パパぁ?」


 突然届いた声は不安そうだった。どこにいるのと省略された部分まで読み取り、考えるより早く転移する。転移先が危険だろうと……いや、危険ならなおさら早くリリスを助けなくてはならなかった。


 飛び込んだ先は薄暗く、一瞬明暗反応が間に合わない。硬い足元は岩か。


「リリスっ!」


 銀の瞳を細めた先で、彼女は床に倒れていた。あせって駆け寄ると、うつぶせだったリリスが起き上がろうとする。しかしリリスの目の前は切り立った崖らしく、空が見えていた。万が一にでも転がり落ちたらと冷や冷やしながら抱き寄せる。


 崖の中腹に掘られた穴にいるらしいと考えながら、ルシファーは警戒を怠らなかった。きっとワイバーンが戻ってくる。リリスを餌とみなした可能性が高い以上、奴らをこのまま放置する気はなかった。


 髪飾り用にゆったり結った髪の一部をぎゅっと握るリリスが、小さな声で呼ぶ。


「パパ」


「もう大丈夫だ。パパが来たぞ、怖くない」


「ん……怖くないけど」


 崖の手前に膝をついたルシファーの腕の中で、リリスは大きな赤い目を瞬いた。ばさっと羽音がして振り返ると、後ろに転移したアスタロトが溜め息をつく。呆れ顔の側近はぐるりと状況を確認し、ワイバーンがいない巣穴の奥に目を留めた。


 人骨や魔物の骨が残骸となって転がる奥に、割れた卵の殻がある。ワイバーンの卵は青白い殻だが、残された殻は淡い黄緑だった。しかもワイバーンの子は生まれてすぐに、殻を巣穴の外へ捨てる習性がある。つまりこの殻は巣の主が留守の間に入り込んだ何者かの遺留物だ。


「ルシファー様、もしかして……」


 殻を指差したアスタロトの顔が引きつる。それから彼はゆっくり上を見上げた。釣られたルシファーが続き、リリスも後を追うように顔をあげる。


 天井にぺったり張り付いたに気付いたルシファーの顔が引きつった。逆にリリスは大喜びで手を伸ばそうとする。苦笑いしたアスタロトが尻尾を掴んで引き摺り下ろした。


 ――いわゆる、蛇である。もちろんただの蛇ではなく、サーペントに分類される立派な魔物だった。鮮やかな赤と黒の縞々が足元に落ちるなり、勢いよくジャンプする。頭部分が平たいコブラ系の外見をしていた。


「パパ、にょろにょろ~!」


 無邪気なリリスは怖いもの知らずに喜ぶが、これは毒がある種類だった。すごい勢いで飛び退すさってサーペントをかわす。だが次に飛び掛られたら、もう後ろに地面はなかった。


「ひっ、アスタロト! 何とかしろ、近づけるな!」


「おや? 魔王様ともあろう方が、サーペントごときに取り乱すのは感心しませんね」


「うるさい! オレがこれを嫌いなの、知ってるだろ」


「ええ、存じ上げておりますよ。分離に失敗したのでしたね」


 にこにこ笑いながら蛇をこちらに煽る部下に、ルシファーは堪らず外へ飛び出した。虹を作り出す滝の水しぶきがかかり、リリスは目を輝かせる。


「きらきらしてキレイ」


 虹へ意識を向けた娘を抱いたまま、空中に留まった。背の翼を広げたまま、大きく安堵の息を吐く。危なかった。


「アスタロトの奴め、絶対にぎゃふんと……」


 言わせる気だったが、何か忘れている気がした。首をかしげるルシファーの後ろに大きな影が迫る。風圧に髪を乱され、ようやく思い出した。


「ああ、先にワイバーンを片付けないと!」

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