140. 鴨葱リリス

 1週間にわたる即位記念祭の最終日、前回までは今後10年の執政について語るのが恒例だった。事前に通知がでていた事もあり、貴族達も緊張顔で並ぶ。


 唯一の王妃候補がリリスという事実は変わらない。4人の大公も認めた以上、他の貴族が否を唱えても覆すことは出来なかった。不安はひとつもなく、ルシファーは愛らしい幼女を抱き上げてテラスに立つ。


「魔王陛下、リリス姫のご入場……っ」


 最後まで言い切る前に、巨大なトカゲが飛び込んできた。魔物であるワイバーンだが、この時期は繁殖期に当たるため大陸を横断する。群れの羽音が大きく、皆が空を見上げた。


「リリスっ!?」


 叫んだルシファーの声に反応できたのは、近くにいた大公だけだった。ワイバーンの低空飛行が通過したあと、後尾のワイバーンを炎が直撃する。


「ちっ」


 手前の数匹を撃墜したルシファーが舌打ちする。足止めのつもりだったが、落ちたワイバーンを群れは見向きもしない。


「陛下っ!」


「うるさい」


 この場で敵を刺激する危険性を諭そうとしたベールの声を、ルシファーは言下に切って捨てた。さらに数匹を風で切り裂くが、ワイバーンの群れは止まらない。


 ルシファーの背に広がった2枚の黒い翼が、ばさりとはばたいた。一瞬でワイバーンの追撃体勢に入った魔王を見送り、アスタロトは呆然としている国民を見回す。誰も状況が飲み込めていない。


「あとを頼みましたよ、ベール」


 返事を待たずに、アスタロトも翼を出して後を追った。






 その頃のリリスは、無邪気に目を輝かせていた。


「すご~い!! パパみたい!」


 空を飛ぶワイバーンに攫われたリリスは、自覚もなくはしゃいでいる。繁殖期のワイバーンの特徴のひとつに、ふわふわした毛皮やきらきら輝く鉱物を集める習性があった。巣材にしたり、繁殖相手への貢物として使用するらしい。


 桜色のひらひらドレスは巣材に向いているし、彼女のドレスに使われたまばゆいばかりの宝石類は貢物に最適だった。しかも彼女自身が、繁殖期の餌に好まれる柔らかい肉である。


 この季節のワイバーンから見ると、リリスは鴨葱かもねぎならぬ『宝石や巣材付きの餌』でしかなかった。知らぬ当人は、掴まれた腰のベルトを軸にぶら下がっている。


 ルシファーが飛ぶ姿を思い出して喜ぶリリスは、ふと気付いた。


「パパは?」


 いつも抱っこしてくれるパパがいない。森の上を飛ぶワイバーンは高度が低く、森の木々に手が届きそうだった。森の木々の間に、大きな狼がみえる。


「ヤン?」


 名を呼んでも返事がない。なんとなく哀しくなってきた。


 じわっと目に涙が浮かんだところで、ワイバーンが旋回して、森の裂け目に飛び込む。川が落ちる滝のある一角は、森が開けていた。川の水が崖を落ちて、下の滝つぼに吸い込まれる。滝の脇にある崖にしがみ付いたワイバーンが、巣穴にリリスを放り込んだ。


 毎年同じ場所で繁殖期を過ごす彼らの巣は、崖の中腹に作られている。上空から他の魔物に狙われる心配が少なく、下から地上の魔物に子供を食われる怖れがない場所だ。昨年も使用した巣へリリスを放り込んだワイバーンは、番となる相手を探しに外へ飛び出した。


 フェンリルであるヤンより少し小さい程度のワイバーンが、番で使用する巣は広い。リリスは大きな横穴を眺めたあと、滝の音に釣られて縁まで移動した。壁に手を当てて歩いた先は、断崖絶壁だ。手をついて俯せになり、滝の方を覗き込む。


 水しぶきが飛んできた。


「パパぁ?」


 不安に駆られたリリスの声に、ルシファーが反応する。リリスの魔力の残り香を追っていたルシファーは声の場所へ転移した。転移先の危険を探らぬまま飛び込む主君の様子に、青ざめたアスタロトが転移魔法陣を複写して追う。


 復調した魔王を殺せる存在など、魔族や人族には存在しない。純白のことわりを理解していても、我を失うほど怒る主君を放置する理由にならなかった。

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