145. 噛み合わない会話と失われた切り札

「勇者の紋章は、魔王の結界を侵食できる――これは問題ですよ」


「そうだよな。また同じことが起きると困る。何か対策を考えないと」


 リリスが結界から抜け出てケガしたり、落ちたりする可能性を心配するルシファーは、抱き着いたリリスを心配そうに撫でる。春の花の香りを運ぶ風が吹き、2人の髪を揺らした。


「今までの勇者は、直接結界に触れる距離まで近づけませんでした。そのため気付くのが遅れたのだと思いますが」


 今後の勇者対策を見直す必要が出てきた。万が一にも魔王の結界を無効化する方法が人族に伝われば、大事件だとアスタロトが呻く。


「もっと大きく結界を張って、二重にするか」


 二重にして落ちないよう対策をすればいいとルシファーが提案する。それを側近アスタロトは否定した。


「根本的な解決になりませんし、普段からそれでは大変でしょう」


 2人の会話だけを見れば、勇者対策を話し合っているのだが、実際は内容が噛み合わない。表情から食い違いに気付いたベールが溜め息を吐いた。


「アスタロト、陛下と話が通じていませんよ」


「……どういう意味ですか?」


「そのままです。単純にリリス嬢の心配をしていますね」


 言われて会話を反芻すると、確かにリリス嬢の話をしている気がした。完全にずれているのに、会話だけなら違和感がない。苦笑いが口元に浮かんだ。


「ルシファー様、勇者対策を先に考えてください」


 勇者対策……きょとんとした顔で、ルシファーは真理をついた。


「不要だろ。だって、数万年は次の勇者が出てこないんだから」


「……確かにそうですね」


 リリス嬢が敵に回らない限り、数万年単位で次代勇者は誕生しない。どうしてか人族のみに生まれると伝承されてきた勇者だが、前勇者が生存していれば次代が生まれることはなかった。そして魔王と婚姻するリリスは魔力量から考えて数万年の寿命がある。


 リリスが寿命を迎えて転生したとして、次代に記憶は受け継がれないため、魔王ルシファーの結界に触れる距離まで近づけなければ問題なかった。今までの形に戻るだけの話だ。しかも人族の寿命は短く、彼らの伝承は数百年レベルで絶えてしまう。


 事実、初代勇者との約定すら継承できていないのだから。人族が数万年も勇者の存在を伝承できる可能性は低く、今後生まれる勇者は己の成すべき戦いすら知らぬまま、寿命を終える可能性が高かった。


「リリス嬢が勇者となった時点で、人族は我々に対する切り札を失った」


「正確には、勇者であるリリスを魔王城に捨て……置いた時点ですよ」


 ベールが「捨てた」という単語を「置いた」に変更した。睨みつけたルシファーが険しい表情を緩める。


「ゆーしゃ? パパは誰かと戦うの?」


 不安そうに呟くリリスの前髪をかき上げ、白い肌にキスを落とす。額に触れた唇の感触に顔を上げたリリスが「パパが負けるのやだ」と続けた。


「大丈夫、負けたりしないぞ。それにリリスが勇者になって、パパを守ってくれるんだろ?」


「うん! リリスがパパを守るの」


「ルシファー様より男前ですね」


 ぼそっとアスタロトが嫌味を口にする。しかし、リリスの言葉を素直に喜ぶルシファーは聞いていなかった。抱っこしたリリスを空に持ち上げて、高い高いを始める。


「パパもリリスを守るぞ」


 2人でにこにこしている単純親子を横目に、ベルゼビュートが溜め息をつく。


 彼女が気にしているのは、賭け金の受け取りだった。今回の襲撃回数を指折り数えて、最後のワイバーン事件が余分だ。おかげで賭けに負けた気がする。それを確かめるために早く帰りたかった。


「陛下、わたくし帰ってもよろしくて?」


「ん? いいぞ。これからワイバーンの処刑を始めるけど」


 交じる気がないなら帰ればいいと軽く言われ、どうせ賭けに負けた事実は覆らないと気分を切り替えた。ここで帰っても負け札を破るくらいしか、することがない。


「イライラの解消に最適ですし、やっぱり参加しますわ」

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