144. 攫われたんじゃなく、ついていった?

 立后の儀を可能な限り迅速に終わらせた一行は、魔王城の裏手にあるアスタロトの森にいた。


「ここならば、最後は魔物が片付けてくれますよ」


 怖ろしい発言をしながら、森に開けた空間を指し示す。広場として切り開いた場所に見えるが、実は彼の殺戮が過ぎて何も生えなくなった呪いの地と呼ばれていた。もちろん、アスタロトに聞こえないよう噂されている。


 逆凪の原因となった人族4人を始末するのに使われた場所は、何も残されていない。多少地面の色が黒っぽくて、草がまったく生えていないのが異様だったが。


「どうしよう」


「この場所ではお気に召しませんか?」


 アスタロトの疑問は見当違いだったらしく、ルシファーが首を横に振って否定した。大量の髪飾りがしゃらんと音を立てる。


「そうじゃなくて。リリスに見せないほうがいいかな。まだ子供だし」


「はぁ……今更でしょう。ワイバーンを焼いたのはリリス嬢ですよ」


 呆れ顔で指摘する側近の足元で、ルキフェルがにっこり笑う。くいっとベールの袖を引いて促した。


「早くしよう! 僕も(八つ裂き)やりたい」


「そうですね。陛下、ルキフェルも望んでますし」


「いやいやおかしいだろ。なんでルキフェルの意思が優先なの! リリスが悪夢にうなされたら可哀相だし、でも置いてくるのも嫌だし」


 たとえ何重にも結界を施したとしても、この腕の中から下ろす気はない。抱いていた状態でリリスを攫われたのは、新しいトラウマになりそうだ。しばらく離せないと言い切った。


 ここでベルゼビュートが気付いたように尋ねる。


「……陛下、なぜリリス嬢を奪われる失態を犯したのですか? 変ですわ」


 アスタロトは眉をひそめ、ベールやルキフェルも顔を見合わせた。最強の魔王の腕の中は、世界で一番安全な場所のはずだ。あの場で結界を展開していなかったとしても、簡単に奪われるのはおかしい。


「えっと……」


 困ったような顔で、きょろきょろしているリリスを見つめる。黒髪の幼女は笑顔を振りまきながら、ルシファーの首に手を回して抱き着いた。羨ましそうなルキフェルが、じっとベールを見上げる。顔をそらすベール。しかし最終的に根負けして、以前のように抱き上げてしまった。


「リリスが手を伸ばしてワイバーンの足を掴み、オレの結界から抜け出た」


「「はあ?」」


 ベールとアスタロトがハモる。理解しがたい状況だった。なぜなら、魔王の結界は文字通り最強だ。普段から身体に添わせて張っているが、物理的にも魔法的にも破ることは難しい。しかも中も外も大差ない強度を誇っていた。


 ぱくぱく口を動かすベルゼビュートは言葉が見つからなくて、最終的に意味不明の身振り手振りで伝えようとするほど驚いている。


「まあ……内側だから多少侵食しやすいが、誤差の範囲なんだ。それなのに、リリスがあっさり素手で突き破って外へ出て、ワイバーンを掴んじゃったんだよな。気付いたときにはするりと……こう、引っ張り出された感じで伸ばした手が間に合わなかった」


 それは攫われたんじゃなく、自らついていったんじゃ?! 誰もが同じ感想をいだく。


 身振り手振りでリリスの行動を説明し、ルシファーは溜め息を吐いた。考え込んだアスタロトが言葉を選びながら、怖ろしい推論を追加する。


「先ほどのワイバーンへの雷撃も、ルシファー様の結界の内側からでしたね。可能性ですが……リリス嬢の左手の紋章が影響しているのではありませんか?」


 3歳になったばかりの頃、突然浮き出た左手の甲の紋章。不鮮明な痣に過ぎなかった紋章は、僅か数ヶ月で鮮明さを増した。気付けば、くっきり『勇者の紋章』と呼ばれる魔法陣が刻まれている。


「リリス、お手手貸して」


「いいよ」


 左手を恋人繋ぎして、アスタロト達によく見えるよう翳した。一緒に入浴や食事をするルシファーは、鮮明な紋章を見慣れている。赤い色でくっきり細かな魔法陣が浮かぶ白い肌を確かめ、ベールが指先で擦った。ぴりぴりした痛みが指先に走る。


「痛いですか?」


「ううん」


 大きく首を振って否定するリリスは平気そうだった。指先に流れた微電流のような感触を確かめていたベールが指を引く。抱っこされたルキフェルが同じように触れた。ぱちっと音がして火花が散る。


「きれぇ」


 喜ぶリリスはやはり何ともなかった。驚いたルキフェルは指先に走った痛みに目を見開く。様子を見ていたアスタロトが赤い瞳を細めて唇を噛んだ。

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