1062. あたくしが来たからには

 着替えの服を並べて眉を寄せるアンナに、イザヤは心配そうに話しかけていた。


「どの服も着られる。アンナは太ってない」


「……でもきつい気がするわ。腰のあたりとか」


 二の腕も太くなった気がするの。そう嘆く妹を必死で慰める。そんな兄妹の横で、アベルが無神経な発言をした。


「自分で言うなら太ったんじゃない?」


 ショックを受けたアンナを庇う形でイザヤが声を荒らげる。


「そんなことはないっ!」


 食べられなくなったらどうする! ただでさえ栄養失調で危険な状態なんだ。お前もふらついて倒れたなら、分かるだろう! そんな怒りのイザヤをよそに、アベルは肩をすくめた。


「だってさ、食べたくても食べ物ない奴がいる。餌が取れなくて飢え死にしたり、食べてたのに栄養、じゃなくて生命力だっけ? 足りなくて死んだ動物もいるのにさ。そんな我が侭はおかしいだろ」


 もっともな内容に、イザヤは反論できずに目を逸らす。袖を掴むアンナの手が震えていた。


「太って、貶されたことがないから……っ、だからそんなこと言えるのよっ!!」


「いや。俺だって婆さんに育てられてた頃は、コロンコロンの豚だったぞ? 歩くより転がった方が早いって、よく揶揄われたっけ」


 懐かしいと苦笑いするアベルに、アンナは目を見開いた。さすがにそこまで太った経験はない。自分より厳しい状況にいたアベルに、卑屈な様子はなかった。


「なんで? どうして、気にしないの」


「気にしたから痩せたんだろ? 鍛えたし、虐められないよう武術も始めた。見た目がチャラいからって、人生楽してきたわけじゃないさ。で、食べないのは死にたいから? 折角両思いになったのに、兄を置いてくの?」


 途中から声色が変わった。真剣に問うアベルに、アンナが何か言おうとした。そのタイミングで、ドアがノックされる。そして返事の前に、乱暴な精霊女王に蹴破られた。


「あたくしが来たからには、もう大丈夫なんだからっ!」


「その根拠のない自信は何なの」


 仁王立ちしたベルゼビュートにぼやきながら、ルキフェルが入ってくる。後ろからルーサルカとレライエも続いた。気まずい状況で飛び込んだ魔族の面々に、イザヤがほっとした表情を見せる。


「ルキフェル様、アベルとイザヤを外へ出してください」


 ルーサルカが部屋を見回し、すぐに決断した。大量に引っ張り出された服は、着替えのためではない。兄イザヤだけならともかく、アベルもいる部屋で彼女が着替えるわけがなかった。ならば、太ったと感じた彼女がサイズを確かめようと並べた、そう考えるのが一般的だった。


「そう、ね。女性だけの方がいいわ」


 ベルゼビュートも同意して、ひらひら手を振って出ていけと示す。左手を腰に当てた偉そうな態度だが、誰も文句は言わなかった。


 アベル用に用意した隣室へ男性陣を追いやる。さきほどベルゼビュートが乱入した獣人の部屋と逆隣だった。防音性能がいいことに加え、先ほどまで自分達も騒いでた日本人は、隣室での出来事を知らない。


 扉の閉まる音を聞いて、ベルゼビュートは豊満な胸を見せつけるように逸らした。ソファやベッドに散らかった服を、ルーサルカが脇に避ける。座る場所が出来た応接セットに、レライエがポットを取り出した。


「ルカ、お水どうする?」


「ベルゼビュート様、お願いします」


「いいわよ」


 火属性のレライエは沸かすのは得意だが、水を作るのは苦手だ。大地属性のルーサルカも、水を集めることは出来るが得意とは言えなかった。幸いにして室内には、すべての属性を扱える精霊女王がいるのだ。使わない手はなかった。こういう部分は、義父や義母の影響だろうか。


 遠慮なく頼んだルーサルカに、ベルゼビュートは嫌な顔ひとつせず、水を提供した。レライエが沸かす間に、ルーサルカはアンナの肩を抱いてソファに座らせる。


「まずはお茶を飲んで落ち着きましょう」


 力なく頷いたアンナは、説教の予感に肩を落とした。

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