136. 側近の目を盗んだ息抜き

 屋台を冷やかし、酔っ払いを避けながら、貴族をあしらった魔王がようやく一息ついたのは、皮肉なことに城下町の一角だった。控え室だと挨拶と称した貴族が押しかけてくるのだ。いい加減疲れたルシファーは、屋台で入手したワイン瓶と肉を片手に裏路地へ逃げ込んだ。


「お? 魔王様じゃないか」


「こっちきて一緒に飲みましょう」


 城下町へ視察として顔を出す機会が多いため、ダークプレイスの住人はルシファーに親しみを覚えやすい。気さくで話がわかる、種族による差別もない公平な執政者というイメージがあった。


 裏路地を抜けた先が宴会場らしく誘われるままついていくと、開けた視界の先は提灯の飾られる広場だった。煉瓦敷きの広場は、多くの種族が集まっている。城下町では普段見かけない森の種族も顔を見せており、酔っ払い達は底抜けに明るかった。


 床で生肉を齧る魔獣も複数おり、後ろをついてきたヤンも目を輝かせる。


「自由でいいぞ」


 ヤンを護衛から解いてやると、嬉しそうに生肉が詰まれた山に飛びついた。現在の彼は護衛用に小型化しているため、フェンリルというより大型犬だ。


「陛下! こっち」


「リリス姫も一緒か」


 側近のアスタロトが一緒にいれば顔をしかめただろう。敬語も忘れた陽気な国民に混じり、ルシファーはほっと緊張を解く。頭上をビールが入ったカップが飛んでいき、少し先のオークの頭に直撃した。ビール塗れのオークがお返しに、手元の枝豆を投げ返す。


 あちこちで食べ物が交換され、投げつけられ、浴びさせられる。即位して数百年は小競り合いも多く、このような光景はなかった。


 笑い声が響く会場は、豊かで平和な10年だった証拠と頬が緩んだ。


「ありがとう。混ぜてもらうとしよう」


 勧められた椅子は、どうやら酒瓶をいれる箱だったらしい。午前中に呼ばれた式典用の豪華な衣装で、まったく気にせずに座った。がっしりした酒箱も絶世の美貌が使うと、立派な椅子に見える……わけはない。酒箱はどこまで行っても酒箱だ。


 リリスはいつもと違う光景に大喜びだった。知らない特徴を持つ種族を前に、興奮して身体をばたばた動かす。白い肌が映える紺色のドレスがふわふわ揺れた。


「パパ、いろんなのいる!」


「人を指差しちゃダメだ。ほら、ちゃんとお座りしないと笑われちゃうぞ。リリスはもうお姉さんの年齢としだもんな」


「うん」


 式典で、自分より年下の子に「お姉ちゃん」と呼ばれたことが嬉しかったリリスは、いそいそとルシファーの膝の上に座りなおした。お姉ちゃんは行儀がいいものだと考えているらしい。


「おや、さすがはリリス姫」


「しっかりしている」


「うちの子とは違うな」


 口々に褒める酔っ払いに、にこにこ笑顔で頷いている。お座りしたリリスは右手のお人形の髪を撫でると、無邪気にテーブルの上の串焼きに手を伸ばした。


「こらっ」


「パパ、ちょうだい」


「悪いがもらうぞ」


 どうぞと勧める民から受け取った串焼きを一口食べてから、リリスに差し出す。以前に串焼きをそのまま渡したところ、上からがぶりと噛み付いて口の中を切った。そこで一番上を先に食べて串の先端を見せることで、リリスが横から齧り付くようにさせた。


 今回も目論みは成功したようで、お人形を手放したリリスが両手で串を掴んで真ん中に口をつける。


 放りだされたお人形は別空間に保管しておく。興味があれこれ移る年頃らしく、新しいものを目にすると、それまで遊んでいた玩具や食べていた物を放り出すのだ。そのくせ思い出すと、なくなった玩具や食べ物を欲しがる。


 我が侭なようだが、ルシファーは娘の気分に振り回される今を楽しんでいた。


「美味しいか?」


「うん、パパありがと」


 にっこり笑うリリスに、酔っ払い魔族たちが沸き立つ。それぞれに食べ物を持ち寄り、リリスの前に積み上げた。まるで献上品である。

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