1035. 間に合ええええ!
「危ないぞ!」
叫んだゲーテの声に、ルーサルカはつがえた弓の弦を離した。2本の矢が同時に放たれ、左右から巨大狒々に迫る。
ぐぎゃああああぅ! 片方は腕に弾かれたが、右からの矢は狒々の目に刺さった。痛みにのたうち回る狒々に、アベルが剣を突き立てる。喉を狙って全力で振り下ろした瞬間、すぱんと柔らかい物を切るように骨ごと首を両断していた。
「びっ……くり、した」
自分が一番驚いた。そんな顔で元聖剣を眺めるアベルに、別の狒々が飛びかかった。咄嗟に横に転がり、剣を振るう。しかし先程の切れ味はなく、舌打ちして身を起こした。
「変だな」
ゲーテが呟く。野生の魔物や動物で、群れを作る種類はボスが倒されると引くことが多い。巨大狒々をアベルが斬り捨てたのに諦めないなど、珍しかった。よほど餌が足りていないのか。
取り囲んでいた群れも、徐々に包囲網を狭めてくる。小さな子連れの雌が加わっているのをみて、ゲーテは異常さを確信した。狒々の群れは何らかの理由で餌が取れていない。生き残りをかけた攻撃なのだ。ボスが倒されたからと引いたら、餓死しかないのだろう。
この飢えた群れが生き残るには、他に方法がない。群れを散らす方法は倒すの一択だった。
「援護するわ」
弓に複数の矢をつがえるルーサルカへ、ゲーテが逃げるよう告げた。
「これは異常事態だ。アミーを連れて、転移で逃げろ」
「いやよ!」
義父からもらったネックレスなら、アミーを連れて転移できる。でも自分だけ助かるなんて嫌だ。アベルだって転移できるけど、そうしたらゲーテを見殺しにするのと同じ。どうせなら全員で生き残れるよう努力するべきだわ。
強く否定したルーサルカに、アベルが説得の言葉を投げた。
「ただ逃げろと言ったんじゃない。アスタロト閣下を連れてきてくれ」
大公である義父アスタロトの助力を仰げ。目を見開いたルーサルカの手に、アミーが押し付けられる。尻尾を巻いた子犬のような状態のアミーは、恐怖に震えていた。きゅーんと鳴く声が悲しそうに響く。
「俺も加勢する」
だから息子を預ける。言い切ったゲーテに、ルーサルカは頷いた。獣人特有の強い力でネックレスの鎖を切り、魔石をしっかり握りしめた。
「助けを呼ぶわ」
すでに戦いに身を投じたゲーテが声に振り返るも、組み合った狒々が邪魔で動けない。アベルもボスを倒した時の切れ味が再現できず、苦戦していた。狒々が少しずつ距離を詰める。アミーを抱えたルーサルカは、防御のために結界を張った。
「お義父様! 来て!! 助けて」
魔石に込められた魔力を使って、全力で助けを呼ぶ。ルーサルカが選んだ手は、自分が安全な場所に逃げるのではなく、圧倒的強者をこの場に召喚する方法だった。
召喚用の魔法陣ではない。別の魔法陣の上へ、強引に叫びを被せて書き換える。かなり無茶をしている自覚はあった。魔石の魔力と魔法陣が反発し、手のひらに痛みが走る。中で暴れる魔力を必死で抑え込み、もう一度叫んだ。
「お義父様ぁ!」
直後、ルーサルカの結界を狒々が叩いた。力がぶつかり合い、結界が砕ける。甲高い音とともに、狒々の爪先がルーサルカの頬を掠めた。
「きゃぁ!」
「っ! ルカっ!!」
叫んだアベルが駆け寄るために、雄の狒々を一撃で叩きのめした。全力で加速するアベルが魔剣を手放す。これを持っていたら間に合わない。身軽になって魔力をすべて注ぎ込み、空中を蹴って加速した。
結界を砕いた狒々の右手は弾かれたが、左手がルーサルカに迫る。しゃがみこんでアミーを全身で庇う少女の上に、アベルは身を投げ出した。
「間に合えええええ!」
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