1034. 魔剣を揮う元勇者

 移動した先に咲き誇るのは赤い花。背の低い木に生えており、魔熊が覆いかぶさったら隠れてしまいそうな背丈だった。にもかかわらず、大量の花を咲かせる。枝が花の重みで垂れるほどだった。


「すごい!」


「綺麗ね」


「これは見事だ」


 アベル、ルーサルカ、ゲーテが一斉に声を上げる。絶句したアミーが最後に「きゅー」と感嘆の息を吐き出した。見回すかぎり、花が埋め尽くす絶景だ。ふと妙な気配を感じ、アスタロトは後ろに闇を展開した。眉を寄せるアスタロトの顔が苦笑に変わる。


「あなたでしたか」


 敵ではないが、ルシファーが何か送り込もうとしている。感知した術をじっくり確認し、覗き見しようとした事実を掴んだ。これは一つ文句を言わねば。


「少し離れますが、ここで待っていてください」


「わかったわ、お義父様」


 ルーサルカに見送られ、アスタロトが消えると……途端に巨大狒々の群れに取り囲まれた。人狼ゲーテが唸って威嚇するため、あまり近づいてこない。だが諦めて帰る様子もなかった。子狼か、アベル達が美味しそうと判断されたらしい。


「大公がいるときは出てこないあたり、根っから弱肉強食の世界だな」


 呆れ顔のアベルは、収納から魔王にもらった剣を取り出した。オリハルコン製の剣は淡い金色に光り、柄頭に緑の宝玉が輝く。実戦投入するのがもったいない美しさだが、その実力も切れ味も抜群の逸品だ。数万年前の勇者から勝ち取った元聖剣だと聞いていた。


 聖剣に使われた銀にオリハルコンを混ぜ、当時のドワーフ最高峰の鍛冶職人が打ち直した剣は装飾も実用性も申し分ない。清楚な美しさを見せる魔剣に、ルーサルカが目を瞬いた。


「間近で見ると吸い込まれそう」


「だよな。びっくりするくらい切れるんだぜ」


 刀に関して知識をもつイザヤも絶賛だった。日本刀のような鋭い切れ味と力任せに叩ききっても潰れない刃。その両立を可能にしたオリハルコンと鍛冶技術の傑作だ。満月の月光に似た剣を構え、アベルはこの剣で初めての実戦に向かう。


 ぐああああ! 一際大きな狒々が飛び出した。アベルもルーサルカもまだ肉の柔らかい子供同然、子狼と同じく獲物とみなしたらしい。3匹の獲物と保護者ならば1匹くらいかすめ取れると思ったのだろう。狒々が警戒するのはゲーテだけ。


 目くばせされ、ルーサルカは素直にゲーテの隣に下がった。彼女の能力は植物や土の魔法と弓矢、完全に後方支援向きだった。最前線は身軽なアベルが立つ。最弱のアミーを守る親狼の隣で、狒々を近づけないことが、ルーサルカの戦いだった。


「……っ!」


 狒々の大ぶりな攻撃を避け、後ろに飛びのいたアベルが攻撃に転じる。ステップを踏んで下がった右足が、ぐっと力を込めて踏みとどまり、踏み出した左足が地を蹴った。覚えたての魔法で一気に加速する。風の援護を受け、体に薄い結界を纏う。


「でやぁっ!」


 掛け声勇ましく、剣を揮った。狒々の硬い毛皮に弾かれる。


「くっそかてぇ、鎧じゃあるまいし」


 腕が折れるかと思った。叫んだアベルが一旦下がる。追いかけようとした狒々の足を、ルーサルカの操った蔦が止めた。絡みついて邪魔をする。引きちぎられるのは確実だが、時間稼ぎにはなった。


「切れなきゃ、突けばいいんだよ」


 叫んで再び攻撃を仕掛けるアベルは、まだ足元の蔦に気を取られている狒々の上に飛んだ。手前の木を足場にして上空から縦に構えた剣を突き立てる。今度はさすがに毛皮の間を切り裂いた。上から下まで背中を切り裂かれた狒々が全力で暴れる。長い腕を振り回し、着地した直後のアベルに迫った。

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