951. 頼ることを覚えなさい

 見た目の変化はない。身体に違和感も、痛みもなかった。だからリリスは動かず、ルシファーの目を見つめる。何をしたのか問う眼差しに、屈んで視線を合わせた魔王はゆっくり口を開いた。


「リリスの魔法を封印した。雷も水も炎も全部使えない。魔力に干渉しないから、他は今まで通りだ」


 内包した魔力はそのまま。言わば魔力を溜める身体という器に、封印の形で蓋をしたのだ。出口をなくしても魔力そのものは変質しない。体内を巡る血と同じだ。治癒や身体強化は使えるが、外へ魔力を放出できないだけ。


 黙って聞くリリスが、こてりと首をかしげた。さっきと同じように右手で天を指差す。いつもと同じ手順で「どかん」を試みた。振り下ろした指は地面を向くが、何も起きない。蜂蜜色の大きな瞳を見開き、リリスは瞬きを繰り返した。


「魔法、出来ないの?」


「そうだ」


 肯定するルシファーは目を逸らさない。これは彼女への処断ではなく、育て方を間違えた自分への罰だ。


「ほんと、昔から融通効かないのよね。こういうところ、アスタロトにそっくり」


 眉をひそめてベルゼビュートがぼやいた。堅物と表現するならベールの方が似合う。真面目ならアスタロトだろう。その両方を足して割ったような、ある意味最も己に厳しいのがルシファーだった。


 こんな嫌な役割、あたくしに振ればよかったのに。代わりにいくらでも憎まれてあげたわ。溜め息まじりで聞こえた声に、ルーシアが唇を噛む。側近の肩書の重さを改めて実感した。いざとなれば泥を被り、民に憎まれても、主君に遠ざけられる可能性があっても、盾になり信頼を得る。覚悟を決めるように、ルーシアは青い瞳でリリスを映した。


「結界はある?」


「オレが張った結界が発動しているから、問題ない。リリスが自らの魔力で何かすることを禁じた」


「……それはルシファーが決めたのね?」


「魔王としての決断だ」


 緊迫した様子に、大公女達は互いの手を握って息を飲む。様子を窺うものの、イポスは姿勢を正して控えた。護衛である以上、その身を守るのが役割だ。主君の決断や考えに口を出すのは、側近の役目だった。これで2人の心がすれ違っても、護衛中は関与できない。


 リリスは何を思うだろう。反発するのではないか。心配に泣き出しそうなルーサルカをよそに、シトリーは肩を竦めた。視察中の騒動を思い出しても、リリスが原因のものは少なくない。大公女から見て、彼女が大人しければ守りやすいのは事実だった。


「思い切りましたね」


 呟く翡翠竜はレライエのバッグから顔だけ覗かせるが、その金瞳を両手で覆っていた。隙間からちらりと様子を窺う姿は、大きなリスみたいだ。相槌を打ったレライエは、無意識に婚約者の頭を撫でていた。子犬のように目を細めて喜ぶアムドゥスキアスだが、心配そうにまたリリスへ視線を戻す。


「ルシファーが決めたなら構わないわ。ずっと一緒にいてくれる約束だもの」


 言われた意味を考え、ルシファーがくすくす笑い出した。リリスの言う通りだ。彼女から魔法を奪う行為は、ずっと隣で守る魔王の存在を示唆している。どこへ行くにも一緒の約束なら、拒否する理由がない――前向きなリリスの捉え方に、彼女に手を伸ばして抱きしめた。


「魔法がないと不便だろう。仲間を頼ることを覚えなさい。オレだけじゃなく、ヤンもイポスも、大公女達も協力してくれる」


 周囲を頼り、自分の実力が届かない事例を覚えるチャンスだ。ルシファー自身がそうだったように、どんなに魔力量があろうと自分は1人。動ける範囲も手の届く距離も限られた。魔法があれば補える部分も、今のリリスではどうにもならない。無力な自分を助けてくれる存在を、心の底から信頼できる仲間を作れ。


 ルシファーがかつて辿った道を、同じように辿るなら、リリスは大きく成長できるだろう。

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