532. サタナキア公爵令嬢として

 大量の釣書を宙に浮かせ、開いて中身を検討して閉じる。右側から拾い上げ、読み終えたものから左へ積み重ねた。


「パパ、絵本いっぱい!」


 肖像画がついた釣書が多いため、リリスは絵本だと思ったらしい。絵姿は様々な種族が入り混じっており、確かに図鑑や絵本を思い起こさせた。


「絵本じゃないが、まあ似たようなものか。リリスも見るか?」


 抱っこしたリリスが頷いて、次々と広げては閉じられる釣書を眺める。その後ろに護衛として付き従うイポスは、複雑な心境で釣書に目を向けた。


 彼女がリリスの専属騎士になってすぐ、魔王城に私室が与えられた。夜は魔王ルシファーがリリスを抱いて眠るため、私室前での警護は不要とされている。そのため与えられた部屋に戻ったイポスを、父サタナキアが訪ねてきた。


 以前から「美味しい菓子を見つけた」だの「お酒を飲まないか?」だの、理由をつけて顔を見せる父なので、イポスも特に気にせず部屋に招き入れた。それが、昨夜はとんでもない話を聞かされた。なんでも魔王陛下に直接「娘の婿を探してくれ」と頼んだ、という。


 あまりの内容に顔が赤くなり、父親を部屋の外に叩き出していた。興奮しすぎて角が出たが、気づかないほど混乱したイポスは「父上なんて嫌いだ」と叫んで扉を閉めた。


 その後部屋の外で「許してくれ」「孫の顔が見たくて、つい……」「お前の気持ちを考えてないわけじゃない」と懇願と泣き落としが始まったが、イポスはがんとして受け付けず、無視し続けた。夜明け頃にようやく諦めて帰ったらしい。


「イポス、今朝のサタナキアが哀れなほどしょげていたが……なにか知ってるか?」


 まるで背中に目がついているのか、疑いたくなる絶妙なタイミングでルシファーが問う。しかし魔王の視線は釣書に向いていた。


「……私が昨夜追い出したからだと思います」


「ん? あれほど娘の気持ちを無視するなと告げたのに、余計な事を言ったのか」


 呆れたと声に滲ませたルシファーが、ようやく釣書をめくる魔法陣を消した。右から左へ移された閲覧済みの釣書は、およそ半数。まだまだ先は長い。


「パパ、イポスはパパと喧嘩したの?」


「イポスとオレじゃなく、イポスの父だな。サタナキアを覚えているか? 立派な角がある……こんな怖い顔のおじさんだ」


「シャンタのおじちゃん?」


「それ、それだ」


 どうやって略したら「サタナキア」が「シャンタ」になったのか不明だが、ルシファーはにこにこと肯定している。苦笑いしたイポスに、ルシファーが手招きした。


 ぐるりと執務机を回り込んで正面に立つと、敬礼して次の指示を待つ。


「すこし昔話に付き合え」


「はっ」


「楽にしてていいぞ。お茶でも淹れさせよう」


 心得たように、部屋の隅に立っていたアデーレが準備を始める。執務机の上に積み上がった書類をルシファーが避けるが、崩れそうになり途中で諦めた。仕方なく立ち上がり、応接用のソファへ移動する。


「パパ、プリン!」


「良かったな、きちんとアデーレにお礼を言って食べなさい」


 机に用意されたおやつのプリンに喜ぶリリスが、ぶんぶんと全身を揺すって興奮状態を示す。落ちないように抱き止めて、礼を言ってスプーンを受け取る幼女の黒髪に口付けた。


「イポス、命令だ。向かいに座れ」


「陛下、それでしたら逆に役目を解除して、彼女をサタナキア公爵令嬢として持て成されてはいかがですか」


 緊張した顔で腰掛けようとしたイポスを見兼ねて、アデーレが横から口を挟む。適確な指摘に、それもそうだと頷いた。


 仕事で座れと命じられたら寛げないし、勤務中の彼女は食べ物や飲み物に手を伸ばさない。護衛として当然の心得だが、今の状況にそぐわなかった。貴族令嬢として、魔王の休憩に付き合うならばすこしは砕けた交流が出来るだろう。


 アデーレの気遣いに微笑み、命じ直した。


「サタナキア公爵家のイポス嬢として、休憩に付き合ってくれ」


「はい」


 優雅に一礼してソファに落ち着いた彼女の表情は、先ほどより柔らかかった。真面目すぎるところも父親にそっくりだ。


 イポスのイメージは、凛と立つ百合に喩えると近い。可愛がられ愛されたご令嬢という印象から掛け離れた、真面目で真っすぐな気性と類稀なる能力。騎士としての能力はもちろん、護衛として陰に立つ所作は洗練されて、護衛対象の邪魔にならない。魔王妃の護衛という肩書にふさわしい実力者だった。


「サタナキアは昔、ある少女に恋をしたんだ」


 そう切り出した魔王の表情は、楽しそうだった。

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