397. パパなんて知らない!!

 お風呂でリリスの髪を洗う手伝いをする。自分でシャンプーに手を伸ばして頭を泡立てるリリスの姿に、ルシファーは頬を緩めた。


「パパ、流して!」


「これ被って」


 洗い終えたと主張するリリスの黒髪にシャンプーハットを乗せ忘れたため、しっかり嵌めてからお湯を掛ける。魔法で流すお湯を止めると、リリスが石鹸を掴んだ。


「ん? スポンジもいるか?」


「やだ」


 すでに一度経験したイヤイヤ期だと判断し、そういえば2~3歳頃だったと懐かしく思い出す。差し出すのをやめたスポンジを見える場所に置いて、素知らぬフリでルシファーは様子を窺った。


 小さな手が大きなスポンジを引き寄せ、器用に泡立てていく。この辺は記憶があるから要領がいいのだろう。泡立てたスポンジを手に、リリスはくるっと振り返った。


「パパは後ろ向いて」


「はい」


 恥ずかしいのだろうか。もう一緒に入らないと言われたら困るので、素直に背中を向けた。するとリリスが立ち上がり、目一杯背伸びしてルシファーの背中を洗い始める。ごしごし擦る感覚に確認しようと動くと、「だめ、パパは動かないの」と叱られた。


 素直にじっとしていれば、肩甲骨の辺りまでしか届かないリリスだが、必死に大人の大きな背中を洗い終えたらしい。娘に背中を流してもらえて、感激中のルシファーは次の言葉に頷いた。


「魔法でお湯するから」


 じっとしてて、と言いたいのかも知れない。大人の真似を始める3歳は子供の成長にとって重要な時期だ。過去の愛読書になっている育児書の暗記した文章に従い、リリスがお湯を掛けてくれるのを待った。


 ふと視線を横にずらすと、鏡がリリスの様子を写していた。ナイス角度だ。食い入るように見つめるルシファーに気付かないリリスは、自分の両手を器の形にしながら、お湯を大量に作り出した。魔力量が多いため、溢れ過ぎて調整に苦労している。手を貸したいが、黙って見守った。


「気持ち、い?」


 舌ったらずに首をかしげるリリスの声に「最高のお湯だ」と褒め称えるルシファーだが、温度はかなり温かった。風邪をひきそうなレベルの微温湯が降り注ぐが、幸いにして魔王と馬鹿は風邪をひかない。


 情報源はアスタロトなので、信憑性は高かった。


「ありがとう、リリス」


 無事流し終えて水が止まったのを確認して、幼女に向き直る。嬉しそうな表情のリリスを洗ってやり、抱きかかえて湯舟に浸かった。


「3歳で魔法を使うなんて、リリスは天才だな」


 褒めながら旋毛にキスをして、黒髪を手早く乾かした。ご機嫌で鼻歌を始める幼女の音は、やはり少しズレている。それもご愛嬌と聞き流すルシファーの膝に座り、リリスは背中をぺたりと預けた。


「あのね、パパ」


「どうした?」


 黄色い薔薇を浮かべた湯舟で、リリスはくしゃみをひとつ。そして、またひとつ。慌てたルシファーがリリスを抱き上げ、タオルを巻いた。乾燥魔法で髪と身体を乾かして飛び出し、部屋の温度を調節する。魔法陣を使い忘れるほど焦ったルシファーは、温めた部屋のベッドに置いた愛娘を毛布で包んだ。


「びっくりした! 風邪じゃないよな?」


 確認しながら顔を覗き込むと、頬がやや膨らんでいる。ぷすっと指先で潰したルシファーに、リリスが毛布を解いてベッドの上に立ち上がった。


「もう! パパなんて知らない!!」


 隕石落下くらいの衝撃を受けたルシファーが倒れた隣に、自分で毛布を掛けたリリスは背を向けて寝転んだ。ちなみに立ち上がった時も今も、まだ素っ裸だ。


 いきなりパパが動くから、何を言おうとしたか忘れたじゃない! 朝まで許してあげないんだから!!


 リリスのささやかな怒りを向けられた魔王は、翌朝、側近の手で揺り起こされるまで、しくしく声もなく泣き続けていた。

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