715. 泣き過ぎて不戦敗

「その覚悟に免じて、一太刀受けよう」


 ルシファーの言葉に重なったのは、短い礼だった。


「感謝する」


 正面から受けた剣の勢いを殺すため、背に翼が広がる。2枚引き出した時点で、イザヤの実力は誇れるレベルだった。勇者ではなく、努力によって勝ち得た前世界の遺産だ。


「……っ、通らないか」


 半歩ほど退かせたが、受け止め切ったルシファーの姿にイザヤが唸る。まだ戦うことは出来るが、全力で仕掛けて受けられた時点で結果は出た。


「御指南、ありがとうございました」


 すっと剣を鞘に収めて一礼する。礼に始まり礼に終わる彼の姿勢に、ルシファーが無造作に取り出したのは宝石箱がひとつ。


「褒美だ」


「いえ……」


 未熟だと恥じ入るイザヤへ、待っているアンナを示す。彼女へ渡すよう言い含めると、苦笑いして受け取った。魔族は魔法も含め、様々な能力を持つ者が当たり前にいる。そんな世界で生きていくため、イザヤは自分が持つ能力を磨くことにしたのだろう。


 最愛の妹であり、妻となる女性を守るために。その覚悟はルシファーにとって理解しやすい感情だった。


「別の褒美も用意しておく」


 種族名を「人族」ではなく「日本人」にして欲しいと願いが出ていたのを思い出し、許可する旨を匂わせた。この辺りの手続きは、アスタロトの管轄だろう。


「次は私が行きます」


 宣言したのは、アムドゥスキアスだった。いつの間にやらエントリーしていたらしい。いつもレライエの腕に抱かれているイメージだったので、意外すぎて二度見してしまったルシファーである。


 手を振って応援するレライエに尻尾をふりふり、翡翠竜は空に舞い上がった。他のドラゴンに比べて小ぶりだが、本来の姿に戻ろうというのか。危険度を察したアスタロトが、ベルゼビュートを連れて駆けつけた。


「結界壁を……」


「ねえ、その前にアドキスは一大事よ」


 アスタロトに、リリスは困ったような顔で空を指し示す。空に浮かんでから本来のサイズに戻ろうとした、アムドゥスキアスの様子がおかしい。途中で頭を抱えて呻いていた。


「ルシファー、結界にぶつかったみたい」


「ああ、そうか。一度解除しよう」


 魔王の結界は、中も外もほぼ変わらぬ強度を誇る。普段からリリスが簡単そうに出てくるため、アムドゥスキアスは勘違いしたのだろう。外の攻撃に対して強いが、中からは出られると。


 勢い良く舞い上がった分だけ、ぶつけた衝撃も激しかったらしい。チビドラゴン姿で、ぶつけた頭を撫でようと手を伸ばした。


 背中のハゲもそうだが、手が短すぎて届かない。その姿も可愛いと、見学の奥様方から歓声が上がった。


「浮気者め」


 むっとした口調の婚約者レライエの呟きに、アムドゥスキアスは青ざめた。浮気は婚約解消の条件になり得る。実際は浮気していないのだから落ち着いた方がいいのだが、パニック体質の翡翠竜は大急ぎでレライエの膝に戻った。


 顔を背けた婚約者の様子に半泣きで、短い手足をじたばたさせて抱っこをせがむ。しかしレライエが手を伸ばさず唇を尖らせた途端、大声で泣き出してしまった。


「ライ、許してあげて。可哀想よ」


「そうだぞ、まだ浮気じゃない」


 ルシファーの擁護についた「まだ」の言葉に、レライエは仕方なさそうに翡翠竜の背を撫でる。両手で目を覆って泣くアムドゥスキアスが、謝りながら顔を上げた。ぽろぽろ溢れる涙が固まって真珠に似た、虹色の粒を大量に作り出す。


「……なぁに、これ」


 ひょいっと1粒摘んだリリスへ、近づいたルシファーが同じように拾い上げて説明した。


「これは竜珠といって、感情が極まると稀に出来るんだが……ずいぶん量産したな」


 竜珠作成は魔力消費が激しいため、泣き疲れたアムドゥスキアスはぐったりと膝の上で横たわってしまった。ルシファーが突いても、ほとんど反応しない。


「戦うのは無理そうだ」


 そう結論づけたルシファーに、結界壁を準備していたアスタロトはほっと安堵の息をついた。魔王城を半壊させた、過去の戦いの再現になるかと心配していたのだ。


 多くの民が集まった場で、翡翠竜と魔王の模擬戦は危険だった。ある意味、レライエに感謝するアスタロトである。いざとなれば、ベール達を強制召喚する気だった。なんとか収まりそうだ。


「こんなに泣くと思わなかった」


 申し訳なさそうにレライエが溜め息をついた。器用に魔力で拾い上げた竜珠をレライエに渡すリリスは、ヤンの上で微笑む。


「きっとライにカッコいい姿を見せたかったのよ。でも……勝ち抜いて挑戦権を得たなら、それだけで立派ね」


 少女達は頷き合い、疲れ切って眠る小さな竜の背を撫でた。

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