1359. 裏取引はすぐにバレた――あと4日

 魔王城の料理番イフリートは手早く料理を仕上げていく。食材置き場として使用していた部屋は床や壁、天井に至るまで魔法陣が輝いていた。ルキフェルの作品だ。この部屋に作り置きした料理を置けば、劣化も温度変化もなく管理できる。結婚式の料理置き場として作ってもらったが、今後も食材の管理用に流用予定だった。


 巨大なバケツプリンを10個ほど作ったところで一休みする。あとはホイップクリームで飾り付けだが、果物を先に剥くか。迷うところだ。どちらも重労働だが、クリームの泡立ての後だと疲れた手が震えるので先に包丁仕事を始めた。


 器用に飾り切りにした果物を並べる。数えながら剥いたのに、数が足りない。首を傾げてじっと見ていると、何もいないはずの場所から手が現れて、果物を掴んだ。その手を咄嗟に握る。果物泥棒だ、逃がしてなるものか! 飾り切りは面倒で手がかかるのに!!


「誰かっ、手伝ってくれ」


 叫んだイフリートに反応したのは、食材を運んでいたデュラハンだった。蹄で駆け寄る音がして、勢いよく犯人の腕を蹴飛ばす。くっきりと馬蹄の痕がついた手は、すっと引っ込んだ。


「魔力を紐づけた、追うぞ」


 デュラハンに促されて、イフリートはその背に飛び乗る。地下室の低い天井も、首無し騎士は気にせず走り抜けた。伏せてしがみ付くイフリートも必死だ。ようやく空が見えた中庭へ飛び出すと、果物泥棒が蹴られた手を撫でていた。


「……あなたでしたか」


 呆れ半分のイフリートはがくりと肩を落とす。間違えようもない、魔王ルシファーその人である。隣でリリスが飾り切りが施された林檎を食べていた。


「すまない。どうしても林檎が食べたいと言われて」


「侍従経由で申し付けてくだされば、お持ちしましたのに」


 つい楽だからと手を伸ばした。自室からタオルを持ち出すときの気軽さで、イフリートが剥いた林檎を手に取ったのだ。向こう側が見えていなかったので、デュラハンに蹴られるとは思わなかった。馬蹄の痕を撫でながら消して、ついでに纏いつく追跡用の魔力も散らす。


「悪かったな、手間を取らせた。詫びにこれを」


 収納から取り出した大量の芒果を手渡す。収穫時期を過ぎているので、手配が間に合わなかったと聞いた。以前に大量に収穫して保有していた果物で懐柔に出る。失敗してアスタロト辺りにバレたら、またぐだぐだと叱られてしまう。


「これは取引だ。芒果を渡すから、黙っててくれ」


 にこにこと、裏取引を持ち掛ける。にやりと笑ったイフリートが要求を追加した。


「陛下は西瓜をお持ちでは? そちらもお譲りください。食糧庫へ届けていただくと助かります。運んでいると人目につきます」


「なるほど……うん、構わない。リリス、移動しよう」


 花模様にカットされた林檎の花びらを剥きながら食べていたリリスを連れ、地下の食糧庫へ戻る。そこへ西瓜や芒果を並べ、追加で苺も乗せて置いた。結婚式で振舞うなら、苺も使うだろう。20年ほど前に豊作だったときの絶品苺だ。


「ルシファー、苺食べたいわ」


「まだあるから部屋で食べよう」


 呆然とするデュラハンが我に返り「魔王陛下のお手を蹴ってしまった」とわめいたことで、この騒動はルキフェルにバレた。彼は口を噤んでくれたが、侍従や侍女の噂話は早い。最終的にベールに話が届いて叱られた。


 時間がないので衣装合わせをしながら、ぐちぐちと文句を言われて謝る。髪飾りを乗せ、バランスを確認し、ついでに化粧もされた。むっとした顔で付き合うルシファーだが、新調されたマントには目を輝かせる。特殊な方法で生み出された糸は、1年で人の身長ほどしか作れない。それを数万年分集め、ようやく完成した逸品だった。


「これは立派だ! お礼は弾んでやってくれ」


 先祖代々溜めてきた糸を提供したのは虹蛇達だ。治癒に特化した幻獣である彼らの血を使って生み出される希少な糸で織ったマントは、手触りも最高だった。


「虹蛇達も誇らしいことでしょう……よろしいですか、陛下。誇れる主君でいることを常に心がけてください」


 まだまだ続く説教を聞き流しながら、適度に相槌を打つ。子どもが玩具を手にした嬉しそうな顔で、ルシファーは新しいマントに手を滑らせた。聞いていないと判断したベールが肩を落とす。それでも取り上げようとしない辺り、何だかんだ魔王に甘い側近だった。

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