297. 見逃した獲物の行く末

※多少の残酷表現があります。

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「ひっ……」


 悲鳴を上げて逃げる神官を見つけて、その足首を斬りおとした。逃げられぬよう足を奪い、血に濡れたローブや剣から血を滴らせながら近づく。アスタロトの白い肌や金髪も血で赤かった。ぽたりと垂れた、人族の血の鉄錆びた臭いに顔をしかめる。

 

 呻く神官は豪華な金のアクセサリーを大量に身につけている。重そうな指輪が飾る指を一本踏みつけた。ぼきりと鈍い音がして、悲鳴を上げてのたうつ男の醜い声が響き渡った。生き残った人々は口を両手で押さえて、息をひそめて隠れている。


 ざっと数十人がいて、誰もこの男を助けない。信仰など口にするくせに、この程度の覚悟か。


「聖水とやらの製造方法は?」


 悲鳴と苦痛の呻きで聞き取れないため、隣の指を踏みつけた。さらに煩くなる。答えない神官に苛立ち、次の指を斬りおとした。間違えて2本落としてしまったが、まあ誤差だろう。アスタロトは同じ質問を口にする。答えなければ首を落として別の人族に尋ねればいい。


「聖水の製造法は?」


 痛みに気が狂いそうな男は、激痛に支配された頭で必死に質問を噛み砕き、正面に置かれた大きな十字架の根元を指さした。その場所には数冊の書物が並んでいた。どうやら聖水に関する情報はあの本に記載されているらしい。


「あれか」


 指を踏んでいた足をにじって離れ、しかし後ろの獲物に止めは刺さなかった。まだ早い、もっと楽しんで、もっと苦しめてやらねば、満足できない。後ろから飛んできた短剣を剣で叩き落とし、アスタロトは魅惑的な笑みを浮かべて振り返った。


「人族とは愚かで、脆く……なんと哀れなものよ」


 隠れていれば見逃してもらえる可能性もあるのに、その程度の知恵は下級の魔物さえ備えている。本能的に強者を嗅ぎ分けて逆らわない。魔物の本能にすら劣る生き物を睥睨し、アスタロトは哀れみを含んだ呟きを零した。


 剣から滴る赤で絨毯や床を汚しながら、軽い足取りで進む。祭壇で拾った本を収納し、先ほど泣き叫んでいた聖職者の首を落とす。その先で震える少年を貫き、並んだ椅子の間から1人ずつ人族を狩りだした。


「お願いっ、娘だけは!」


 必死で幼子を抱きしめる母親の叫びに足を止める。4~5歳くらいの女の子を抱いた女性は、あらがう意思を見せた。近くに倒れた男から奪った短剣を手に、娘を背に庇って逃がそうとする。


 ふっと緊張が途切れた。見なかったフリで彼女達を放置する。通り過ぎたアスタロトが、正面の扉から教会を出た。目の前に並ぶ衛兵らしき武装した集団が、槍を突きつける。


「魔族の好きにはさせんぞ」


「……人族風情が俺に勝てるわけあるまい」


 先ほどの親子に絆されかけた感情が、再び怒りを纏って身を焼く。


 ここ千年ほど穏やかに過ごした魔王の影響で、魔族は人族に攻め込まなかった。それは魔王の気まぐれであり、弱い種族に対する哀れみであり、一種の施しであった。しかし理解できぬ低俗な人族は、魔族の領地に踏み入り、荒らした。


 魔物を狩り魔の森の平穏を乱した存在が『魔王を侮る』など許せるはずがない。アスタロトは右手の剣を一振りして血をはらう。虹色の美しい剣は、禍々しいほど美しく月光を弾いた。


「さっさとしろ」


 吐き捨てたアスタロトが先に動いた。ゆったりと流れる金髪が光のように彼らの目前を横切り、正面の数人が腕ごと斬りおとされる。ごとんと音がして石畳みに落ちた腕はまだ剣や槍を握っていた。踏み込んだ左足を軸に、さらに奥へ身を進める。大量の獲物を狩るアスタロトの背後で悲鳴があがった。


 優雅な殺戮の舞いを止めて振り返った彼の赤い瞳に映ったのは、先ほどの親子だった。短剣を手に吸血鬼王に立ち向かった母親が、衛兵に斬られて倒れる。その後ろにいた幼女の胸に、剣は突き立てられた。足をかけて引き抜いた兵の口から「化け物の仲間め」と吐き捨てるセリフが耳に届く。


 助けたのは気まぐれだった。いや、助けた認識すらない。敵対するに物足りない親子を見逃しただけで、彼女らに対しての感情もなかった。しかし皆殺しの教会から生きて出ただけで、魔族扱いされる人族の社会の歪みに、くつくつと喉の奥を震わせて笑う。


 本当に、野生の獣以下の種族だ。原始の種族に含まれていなければ、滅ぼせただろうに。


「俺の気が済むまで、付き合ってもらうぞ」


 今夜、この都のすべての人族を殺して構わない。もうひとつの都に向かっても獲物は余っているだろうか。狩りの興奮に爛々と光る赤い瞳を細め、アスタロトは残忍な笑みを深めた。

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