32章 怯える聖女、追う幼女

422. 聖女の嘆きを幼女は知らない

 殴られて床に転がった。冷たい石の床で顔や手足が黒く汚れる。着ている服も白が灰色になるほど汚れていた。


「聖女だろう! なぜ出来ないのだ!!」


「……ごめんなさい」


 最初の頃は口答えをした。聖女なんて肩書は知らないし、家族の元へ帰してくれと泣いたりもしたが、扱いが酷くなるだけだと悟った。ただ大人しく謝るのが、一番被害が少なかった。


 彼らのいう聖女という役目は、清めや治癒の魔法が使えるそうだ。私は魔法がない世界で暮らしてきたので、説明されても困惑するだけ。魔力量はあると怒られても、使い方がわからなかった。


 ぐぅ……お腹が鳴って手で押さえる。魔法が使えない罰として、昨日は1食しか食べてなかった。それも僅かな量の薄いスープで、全然食べた感じがしない。


「召喚したのに無駄になった」


 ただ謝るしかなかった。外は夕暮れだが、もしかしたら今日は食事抜きかも知れない。


 あの日突然光って、気づいたら魔法がある世界にいた。何が起きたのか理解できないけど、前に住んでいた場所はこの世界にないという。一緒に連れて来られた男の人はどうなったのか。


「あの……勇者の人は……どうなりましたか」


 怖いけれど知りたくて、震えながら尋ねると眉をひそめた男が吐き捨てた。


「魔王に挑んで殺された」


「……え?」


 意味が理解できない。理解を拒否していた。だって死んだの? 交通事故や病死ならわかるけど、魔王に殺されたってどういうこと……。


 呆然とする少女を地下牢に残して、男達は苛立った様子で出て行った。扉の閉まる音で初めて気づく。それでも追いすがる気になれないほど、恐ろしかった。知らない世界に落とされたけど、まだ仲間がいると思ってたのに……私1人ぼっちなの?


 ぽろりと涙がこぼれた。水もあまり貰えないから、泣くと脱水になっちゃう。そんな余分な考えがちらりと過ぎる。それでも涙は止まらなかった。


 殺されたという勇者をあわれんでいるのか、自分をあわんでいるのか。感情がわからないまま、声を殺して泣き続けた。









「ちょっと多過ぎないか?」


「いっぱぁい!」


 嬉しそうにリリスが叫ぶと、ルシファー達に気づいた獣人から歓声が上がった。


 顔が引きつる。執務室のテラスから見下ろした中庭は、隙間なく魔族が並んでいた。転移が出来る場所だという理由で中庭に集結させたのに、入りきらずに城門前にも溢れたらしい。


「ドラゴンは神龍族、竜族、竜人族から選出式にして数を減らしましたし、鳳凰も数羽に抑えています。ドライアド、魔獣、精霊はそれぞれに現地集合ですね。あとはヤンが息子のセーレと出撃するために、領地に一時帰宅しています」


「ああ……ヤンは転移が出来ないからな」


 自力で転移魔法陣を扱えないので、魔の森を一夜で駆け抜けたのだろう。疾風の如く駆ける姿が浮かぶ。息子と一緒に出撃許可が出たなら、きっと浮かれていたはずだ。通り道の被害報告は後日か。


 ヤンが面倒を見るヘルハウンドも、彼の背に乗せられて現地で待っているらしい。この場にいないデュラハンや魔熊、スレイプニルなど足の速い種族は灰色魔狼フェンリルのヤン同様、現地集合組だという。ヤンが木々を薙ぎ倒して走った道は、彼らも走りやすかっただろう。


 アスタロトは溜め息をついた。前回の人族との戦いに連れて行かなかった大型種族が、「俺達だって戦いたい」と揃って騒いだのだ。そこで種族の幅を広げ、一族の中から数人ずつ選ぶよう提案した結果の現状だった。


 選抜方法を種族任せにした結果、ドラゴン系は勝ち抜き戦を一晩中繰り広げたと報告があった。魔の森があちこち倒木だらけで、魔王軍による修繕の必要がある。鳳凰はアラエルは番のピヨを乗せて参戦するようだ。魔物狩りがあるため、魔王軍は今回は日常業務に振り分けた。


 参加種族リストは、ベールが徹夜で仕上げた。長いリストを読み終えた後、空を見上げる。


「あれもか」


「そうです」


 ペガサスから始まり、ワイバーンを乗り物に使う小人達、妖精やハルピュイア達もいた。地を走る種族は前日出発で、空を飛んだり転移が出来る種族はここに集まったのだ。獣人は血の気が多く、すでに戦闘形態に変化している者もいた。興奮状態で唸るから、周りがつられている。


 咆哮が飛び交う中庭は、すでに戦場のようだ。


「おお~ん!」


「リリス、吠えなくていい」


 黒髪を撫でると、幼女は楽しそうに笑った。


「遠足みたいだね、パパ」


 えらく物騒な遠足だが、表現としては正しく現状を示している気がした。

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