235. ずっとこのままならいいのに

 早朝、ルシファーは息苦しさで目を覚ました。何が起きたのかと思えば、胸の上で猫のように丸まった娘が熟睡している。身体に纏う結界が重さを軽減してくれるはずだが、魔力が似たリリスは結界を通過してしまうので、重さは普通に感じられた。


「重くなったな」


 成長の度合いを重さで測るのは、女性に対して失礼だ。しかしルシファーは気付かぬまま、頬を緩めてリリスの黒髪を撫でた。さらさらした髪は柔らかく、猫の毛に似ている。


 純白の魔王と同じ質の魔力を持つリリスが、正反対の漆黒の髪をもつのは不思議だった。量と質はある程度因果関係が認められている。正反対の色を持つのに魔力の質が似ているなど、今までにない事例だった。


 一部の魔族からはリリスを危険視する意見も出ているが、ルシファーは彼らを咎める気はなかった。同時に、リリスに対して警戒するつもりもない。


 魔王位が定まるまで、魔族は混沌とした暗黒時代を過ごした。その頃の話を伝え聞く貴族が魔王に害をなす存在に怯えるのは当然だ。いくら強くても隙を突かれたら負ける可能性はゼロではなかった。魔王位が空席となれば、再び魔族は血で血を洗う時代に突入するだろう。


 彼らの心配は当然だった。しかし愛するリリスに殺されるなら、それも運命と甘んじて受ける覚悟があるルシファーにとって、貴族達の懸念はどうでもよかった。自分が死んだ後のことまで心配する気はないし、アスタロト達がいれば何とかしてくれると信じている。


 朝日が徐々に部屋を明るく照らし出し、ついにベッドに届いた。数百年ぶりの別宅の私室は、さすがに誰も使わなかったらしい。埃よけと状態維持の魔法陣を刻んだ建物で、魔力の残滓が漂うこの部屋は手付かずだった。


 ひとつ欠伸をして視線を向けると、リリスの小さな手が何かを探すように動く。髪をさけて、ルシファーの指先を掴んできゅっと強く握った。


「ずっとこのままならいいのに」


 ふと本音が漏れる。誰も聞いていないから言える言葉だった。


 誰に言われなくても知っている。人族は寿命が短く、魔族とのハーフでも数百年程度だろう。自分があと何年生きるのかわからないが、少なくともリリスより長生きなのは間違いなかった。


 ふと、疑問が過ぎる。公爵位の魔力があっても2~3万年ほどが寿命だ。ルキフェルを除く3人の大公はルシファーより年上だった。他の魔族と何が違う……確かに魔力量は多いだろう。しかし異常なほどの長寿の要因として、魔力量は弱い理由だった。


「何か原因がある、のか?」


 気になった考えを突き詰める前に、リリスが可愛い欠伸をして目を開く。一度閉じて、またすぐに赤い目が開いた。瞬きの後で、もうひとつ欠伸をする。


「おはよう、リリス」


「うん……おはよ~ぱぱぁ」


 まだ半分寝ているらしく、目元を擦ろうとする手を掴んでやめさせた。抱き上げて身を起こすと、掴んでいた指に気付いて首をかしげる。


「なんで掴んでるの?」


「パパが寂しかったからだよ」


「寂しかったの?」


「ちょっとだけ」


 くすくす笑いながら、他愛のない言葉をかわす。隣の部屋は記憶の中と同じバスルームだった。騎士となったイポスにはしゃいだリリスは、昨夜遅くまで起きていたため、風呂を後回しにして寝たのだ。朝日が眩しい部屋で服を脱がせて、いつもと同じように洗って湯船に浸かった。


「パパはリリスと一緒だから、もう寂しくならないよ」


 にっこり笑って頷けば、リリスは嬉しそうに膝の上で湯を叩く。照れているのだろうが、いちいち仕草が可愛い。湯を飛ばすリリスが落ち着くのを待って、親子は風呂を出て身体を乾かした。ひょいっと空中に手を突っ込んで、城のクローゼットからリリスの服を引っ張り出す。


 自分はさっさと黒いローブを纏い、リリスを手招きした。


「今日はこれにしよう」


 シンプルなクリーム色のワンピースを着せ、上にショールを羽織らせた。胸の辺りで薔薇のブローチで留めて、魔法陣で落ちないよう固定する。慣れた作業を終えると、ベッドに座った自分の膝の上にリリスを乗せた。


 黒髪を丁寧に梳いてから三つ編みを編んでいく。それを絡めて後ろでお団子にしてからリボンを飾った。今日も満足できる出来である。


「よし、今日もオレのお姫様は最高だ。可愛いぞ、リリス」


 頬にちゅっと音を立ててキスしたところで、ドアがノックされた。

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