894. 婚約者の気遣いと危険の共有

 ばたばたと後始末しながら、ルーサルカは先を歩く2人に頬を緩める。前回の温泉街が大変だったから、出来れば穏便に幸せのおすそ分けと、お披露目が終わればいいと思う。指を咥えて魔王と魔王妃を見送った子供が転び、膝を擦りむいた。少しカルンに似ている。懐かしさに口元を緩めながら、治癒魔法をかけた。


「ほら、もう痛くない。気を付けてね」


 手を振って子供を見送り、落とし物を届けたシトリーと合流してリリスを追いかけた。風に紛れて聞こえたのは、以前の視察のささやかな日常だ。うさぎのクリームパンを買うため、東門方面にあるパン屋を探すらしい。


「パン屋? クリームパンは僕の世界にもあったな」


 護衛を兼ねて剣をベルトに下げたアベルが、話しかけるでもなく呟いた。気になって顔を向け、ついでに言葉をかける。


「異世界にもあるの?」


「え? あ、うん。あるよ。中身が餡だったり、クリームだけじゃなくて焼きそばもあるし」


「「やきそば?」」


 驚いてぎこちなく頷くアベルをよそに、シトリーとルーサルカは顔を見合わせた。主食のパンに麺を挟む……その発想にびっくりした。焼きそばって、ソース味で搦めた麺に具を入れたパスタよね。ルーサルカが思い浮かべた食べ物は見た目は正解だが、認識が少しずれている。


「他には何があるの?」


「ソーセージ、ジャム、餡とバターとか」


「立派な料理だな」


 レライエが後ろから合流した。専用バッグを斜めがけした彼女は、動きやすい恰好をしていた。膝までのハーフパンツに、上はブラウスである。袖は肘と手首の間位なので素肌の露出が多すぎず、バランスが良かった。


「ねえ、ライはそんな姿だったかしら?」


 ルーシアが不思議そうに首をかしげる。確かに中庭に集まったときは、全員スカートだった気がする。アベルも含め記憶をたどっていると、有袋類の腹に似たバッグから顔を覗かせたアムドゥスキアスが種明かしをした。


「前に陛下が作った着替え用の魔法陣、あれを先日購入しました。複製して、収納内の洋服と一瞬で着替えられるようにしたんです」


「それは……大変だったわね」


 ルーシアが苦笑いした。昨夜は何着も着替えてコーディネートするレライエと、それを複写するため魔法陣を操る翡翠竜が部屋で奮闘したのだろう。どちらも大変な作業だったはず。


「便利ね。私も作ろうかしら」


 ルーシアがうーんと唸る。シトリーとルーサルカも少し考えてから、3人の大公女は大きく頷きあった。


「今夜は寝られそうにないわね」


「頑張るわ」


 シトリーとルーシアの会話にルーサルカも加わりながら、少女達による着替え用魔法陣の複写作業が決定した。それを羨ましそうに見守るが、アベルは余計な口を開かず我慢する。男なので、着替え中の手伝いも出来ない。賢い選択だった。


「……私も皆と一緒にやればよかったわ」


 ちょっと仲間外れ気分で俯いた婚約者レライエを元気づけようと、翡翠竜は身を削る決意をする。といっても今回は鱗は必要なかった。


「ライ、こうしたらどうかな。皆でお互いに衣装を合わせながら、私が魔法陣に記録するよ。そうしたら皆夜も一緒にいられるし、たくさん作って困るものじゃないだろう?」


 魔力供給と魔法陣への焼き付けを担当すると言い出した婚約者の緑色の鱗を撫で、レライエは「私は恵まれてるな」と微笑んだ。婚約者からの感謝と微笑みで満足なアムドゥスキアスに、横からアベルが忠告する。


「間違ってもルカの着替えを覗くなよ。義父が怖すぎる」


 その忠告に、翡翠竜の小さな手が伸ばされた。ぐっと握ったアベルが頷くと、アムドゥスキアスも大きく頷いた。アスタロトへの恐怖の共有と、ルカに近づく危険性の確認を終えた2人はすっと離れる。


「パン屋さん見つけたわよ!!」


 大きく手を振って呼ぶリリスに、全員が顔を見合わせて走り寄った。

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