192. 優しすぎるから厳しさも必要

「……予想はしてたが、意外とゆっくりだった」


 残念そうな声が響き、空間に侵入した主が溜め息をつく。この惨状を予想はしていたが、ここまで手間をかけていると思わなかった。つまり惨劇が終わったと想定して現れたらしいルシファーは、腕に幼子を抱いている。


「ルシファー様、リリス嬢もご一緒でしたか」


 派手に返り血を浴びた状態を隠そうともしないアスタロトが優雅に一礼する。地上に立つ彼に襲い掛かる愚かな剣士が、振り返りざま斬り捨てられた。残念そうな顔をするところを見るに、どうやら手加減を間違えて殺してしまったようだ。


「パパ。おろして」


「……絶対に手を離さないと約束できるか?」


 頷いたリリスを抱いて地上に降り、背の翼4枚をゆったりとたたんだ。結界で幾重にも守られたリリスをおろすと、幼い子供は周囲を見回した。向けられる敵意も鋭い視線も、罵りの言葉も届いているだろう。しかし昼間のように怯えて逃げる様子はなかった。


「アシュタ、その人は何したの?」


 足元で絶命した男を指差す。


「ラミア達を襲って殺しました。先ほど見たとおり私にも襲いかかりましたね」


「うん……そうだね」


 見ていた事実を言葉にして伝えられ、リリスは納得した様子だった。手を繋いだ先を辿るようにルシファーをみあげ、再び抱っこを強請る。ほっとしながらルシファーが抱き上げると、高い位置からまた周囲を確認して俯いた。


「ごめんねで終わらないの?」


「たとえ話をしようか。リリスはパパが殺されたら、相手を許してあげられる?」


「殺されると動かないんだよね」


「そうだな。もう二度と抱っこもお話もキスもできない」


 じっと考え込んだリリスと動かないルシファーへ氷の刃が向けられるが、アスタロトが難なく排除した。


 攻撃した魔術師へ、同じ氷魔法で反撃する。首の下まできっちり凍らせて、身動きできなくなった魔術師が青ざめていく。体温が徐々に下がり心音が停止するまで、溶ける事がない氷を砕こうと剣士達が必死に足掻いた。


 詠唱できないほど寒さに震える魔術師を見捨て、魔族への攻撃に切り替えた剣士の一太刀へ、アスタロトは右手の剣で応じる。数戟すうげきほど刃を合わせたあと、右手を剣ごと切捨てた。手を止めないアスタロトが左腕と右足も切り落とす。


 倒れた男を冷めた目で一瞥したアスタロトだが、振り返った赤い瞳は心配そうにリリスを映した。ぎゅっとルシファーの純白の髪を掴んで口元に運ぶ癖は、以前から悩んだり迷ったときに無意識に出るものだ。


 あの子もあの人も、優しすぎるのですね。


 溜め息混じりにそう思う。自分のように他者を簡単に排除できる性格ならば、これほど悩まなかっただろう。だけれど、逆に同じ性格をしていたら……ルシファー様を主君と仰ぐこともなかった。


「人の大切なものを奪ったら、同じように奪われてしまうんだ」


「うん」


 頷いたリリスが顔をあげた。迷う色は見えない。それでも痛そうな人を目にするたび、すこし泣きそうな顔をする。


「アスタロトを止めたいか?」


「ううん」


 首を横に振ったリリスが言葉を探しながら必死に話を繋げる。


「いけないことしたら、叱られるんだよ。だから酷いことしたら、酷いことされるし……パパがいなくなるのはやだ」


 曖昧ながらも善悪の感覚を掴んだ娘に頬ずりして、額にキスをひとつ。それからアスタロトへ向き直って声をかけた。


「助かった、残りは好きにしろ」


 子供の教育が終わったので引き上げる。込められた意味を間違わずに受け止めたアスタロトは、拭わなかった返り血を滴らせながら一礼した。魔法陣で親子が消えた砦は、再び惨劇の中で赤く染まる。







「お帰りなさいませ、陛下、姫様」


 コアトリクエを筆頭とするラミア達に囲まれ、リリスはぎこちなく笑う。その表情に何を思ったか、ラミアの一人が手を差し伸べた。


「陛下、姫様を少しお貸しくださいませ」


「こら……失礼ですよ」


「構わないさ、行くか? リリス」


 頷いたリリスを抱いたラミアを囲んだ他のラミアが子守唄を歌い始めた。そっと黒髪を撫で、ゆったりと身体を揺すり、優しい眼差しで皆が歌を歌う。不思議な旋律が眠りを誘うのか、リリスはすぐに目を閉じた。


「目覚める頃には、姫様のお気持ちも落ち着くでしょう」


 儀式のときに使う呪歌まがうたのひとつなのだと、コアトリクエが小声で教えてくれた。


「姫様はお優しいのです。これから傷つくでしょうが、あの優しさと強さがあれば平気ですわ」


 リリスを気遣うラミアから彼女を受け取ったとき、寝息を立てる娘の表情は明るかった。

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