364. 感動薄れぬ朝の一幕
夜明けの薄明るい光に、ルシファーは驚いて瞬きした。
「え? もう朝?」
腕の中で眠り続けるリリスを揺らしながら、騒がしかった庭の騒動が静まっていることに気づく。かなり遅い時間まで盛り上がっていたが、中庭の貴族は深夜に休んだようだ。城門の外はずっと明るかったので、夜通し飲み明かしたと思われる。
アスタロトが部屋を辞してすぐ、わずかだがソファで眠った。抱いたままのリリスがぐずったので、起きてあやし始めて……気づけばそのまま朝を迎えていたのだ。収納空間から取り出したベビーベッドは使われぬまま、取り出した玩具や服を入れるケースになっていた。
すやすや眠る愛しい存在に、自然と頬が緩んでしまう。世界を犠牲にしても助けたいと願った彼女が、こうして生きて呼吸をしている。愛らしい手で髪を掴み、笑ったり食事をした。その感動は胸を熱く高鳴らせ、いまだに余韻が引く気配はない。
「陛下……まさか起きておられたのですか?」
驚いたように告げるアスタロトだが、彼も眠っていないだろう。さすがに着替えて髪を解いているが、昨夜から情報を集めて精査していたはずだ。
「人のこと言えないだろ」
指摘すると、くすくす笑いながら「寝られたのはベルゼビュートくらいです」と返した。貴族の祝杯を受け続けて酔い潰されたベルゼビュート以外は、全員後始末や情報処理に追われていたのだ。昨夜の宴会も仕事とはいえ、今日の彼女は二日酔いで使い物にならないか。
「リリス嬢は……?」
「まだ寝てる。すごいよな、生きてるんだぞ」
「どうした?」
「いえ。死に損なったことで、ベールの説教を受ける約束をしたのですよ。なんだか擽ったい不思議な感じがします」
無茶をして首を突いた自覚はある。唯一と定めた主君を失うなら、先に滅びてしまえと自棄になったのも事実だ。生き残ってしまい、その無茶を同僚が咎めるのが嬉しい。自虐的な意味ではなく、単に全員が無事で互いを気遣い、当たり前のように叱られる立場がこそばゆいのだ。
「……アイツは怒らせると怖いぞ」
実感のこもったルシファーの忠告に、アスタロトはようやく実感した。大切な主君が、もっとも愛する子を腕に抱いて微笑んでいる幸せ――あの壮絶な現場を経験したからこそ、今の奇跡に近い光景が胸に迫る。
「そうですね。ベールの怒りや説教も甘んじて受けます」
叱ってもらえるうちが華だ、そう匂わせたアスタロトは、見上げてくる赤い瞳に気づいた。
「ルシファー様」
「ああ、おはよう。リリス」
ぱちぱちと瞬きして、ルシファーの顔を見る。それからアスタロトへ視線を移した。にこにこと笑い始めたリリスの手が、純白の髪を掴んで引っ張る。顔を近づけると、小さな手がぺたぺたと吸い付くように触れてきた。
「覚えてるのか?」
「どうでしょう」
扉のノックの音に、慌ててルシファーは身だしなみを整えた。もちろん腕に抱いたリリスを離すことはなく、着替えも魔法で済ませる。リリスはきょとんとした顔で髪を掴んだまま、大人しくしていた。
朝食の準備に顔を見せたアデーレが、リリス用の離乳食を机の上に並べる。複数用意するのは、まだ月齢が小さいためだった。気に入らないと吐き出すことも多いので、ベビーベッドに積んだ荷物の中からエプロンを選び出す。
下の方がスプーン形状のステイ・エプロンならば、落とした食べ物を受け止めてくれる。かつて人族の都で見つけた便利グッズを首にかけ、リリスを膝の上に乗せた。しっかりお座りが出来る月齢で助かったと思う。
「よし、今日はどれがいいかな?」
「あぶ……ぅう」
「リリス、あーん」
指をくわえようとする手を押さえ、金色のスプーンで手前のサツマイモが入ったスープを飲ませてみる。2口目で拒絶した。隣の卵料理を掬って差し出すと、嬉しそうに続きを強請る。身体を揺すって感情を表すリリスを見守るアデーレが、そっと潤んだ目を瞬きで誤魔化した。
あれだけの魔力吸収や魔法陣の揺れを感じれば、流石にただ事ではないとわかる。その上帰ってきた一行の傷ついた姿や赤子になったリリスを見たのだ。夫であるアスタロトから話を聞かなくても、壮絶な状況だったと悟るに十分だった。
「こっちは? あーん」
シチューでふやかしたパンを口元に運ぶ。口に入れたが吐き出した。熱かったのか泣き出してしまったリリスを揺すりながら、シチューをふぅふぅ冷ましてから再チャレンジする。まだ眦に涙が残っているものの、リリスは素直に口を開いた。
「ごめんな、熱かったな……おいしいか?」
嬉しそうに面倒を見るルシファーの様子に、午前中の仕事を調整しようとアスタロトが席を外す。しばらくは仕事量を減らした方がいいですね。そんな彼の配慮を知らないルシファーは食事を終えたリリスを連れて訪れた執務室で首をかしげた。
「……随分書類が少ないんだな」
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