1207. 人的被害はなさそうです

 命令を受けて、侍従や侍女が大急ぎで部屋を開いていく。種族や家族単位で固まって城内へ入る魔族は、一様にほっとした顔だった。中庭にも軍のテントが用意され、治療や物資の配布に列ができていく。


「城内における物資の転送を許可する! 人は転移できないから注意しろ」


 魔王城に仕掛けられた安全装置をひとつ外し、物資の転送を始める。これで食料の列は解消できるだろう。中庭に送られた順番に治癒を施していくため、城内にケガ人はいないはずだった。


「治癒はこっち、まとめていくわよ」


 ベルゼビュートが声を張り上げて、まとめて治していく。自慢の巻毛が水に濡れてストレートになっている。それを無造作にかき上げ、くるりと巻いて固定した。


「早くなさい、後ろが詰まってるの」


 中庭は即位記念祭以来の混雑だった。リリスは大公女や護衛のヤンと城内に引っ張り込まれ、屋内で手伝いを始める。それを確認して、ルシファーは再び救助側に加わった。


 途中で魔王軍の精鋭達と合流し、状況確認を行う。アスタロトが分割した地図の担当区域に従い、ベール指揮の下、魔王軍は動いていた。担当地区の集落を回り終えた彼らは、逸れたり逃げる途中で力尽きた魔族を探している。索敵用に開発された魔力感知の魔法陣を地図に重ね、効率的に動いていた。


「空白地帯はないか?」


「そうですね。特にないと思われます」


 ここは魔王軍に任せるべきか。何かあれば魔王か大公を呼ぶように追加の指示を出し、ルシファーは一度戻った。もうほとんどの種族は避難したらしい。中庭のテントから溢れた人々は、研究棟や謁見の間も解放して収容された。アラクネの里から、受け入れ可能の連絡が入ったと侍従が走っていく。魔獣の一部が避難することになり移動を始める。


「ルシファー様、ほぼ全員の避難が完了しましたが……せっかくなので戸籍制度の協力要請を行いましょう」


 アスタロトがずぶ濡れになりながら近づいた。姿が見えないと思ったら、避難した民の誘導や管理に忙しかったらしい。報告書用のメモを片手に、彼は濡れて張り付く金髪をかき上げた。


「戸籍……アンナ達の提案だったな」


「ええ。ここまで魔王城に集まることも少ないですし」


 ぐるりと見回して許可を出す。そのまま備蓄の調整から、今後の復旧費用の捻出に至るまで話し合っていると……リリスが走ってきた。膨れっ面で無造作にルシファーの腕を掴む。


「やだ、こんなに冷えて! もう!! アシュタもでしょ? 早く中に入ってちょうだい」


 ぷりぷりと怒る彼女に、思わず2人は素直に頷く。叱られた理由がわからぬまま後をついていき、城内に入るなり侍従達に手早く拭かれた。タオルを用意させたのはリリスらしい。


「リリス、どうして怒って」


「自分達がどういう立場かわかるでしょ! 倒れちゃダメな人なの、どうして濡れてるのよ!!」


 腰に手を当てて怒るリリスの言葉を噛み砕き、なるほどと納得した。風邪をひくと思われたのか。


「風邪をひくほどヤワではありません」


「お義父様、こちらへ」


 唇を尖らせたルーサルカに手を引かれ、アスタロトが離脱した。向こうでしっかり叱られるだろう。こちらはリリスか。ルシファーは純白の髪を自分で乾かしながら、口元を緩めた。


「心配してくれてありがとう。だが濡れても平気だぞ」


「ただの雨じゃないわ! すごく冷たいのに、濡れてるなんて」


 いつもと違う雨だと繰り返すリリスが鼻を啜る。彼女は魔力で自分を覆ったらしく、濡れていなかった。ルシファーやアスタロトが同じように雨避けをしないのが気に入らないようだ。


「気をつける」


 理由はあるのだが、いま説明してもリリスは飲み込めないだろう。だから言い訳せずに謝り、冷えた指を伸ばして彼女を抱きしめた。


「温めてくれるか?」


「……いいわ」


 少しだけ考えて受け入れたリリスの温かな腕が、するりと背に回された。

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