167. 嫌われてませんでした

 幼児の顔は半分ほど目なんじゃないかと思うほど、目の比率が大きい。ぱちりと瞬きした赤い目が、じっとルシファーを見上げた。


 周囲は無言で見守る。沈黙がシンと痛かった。


「パパ」


 リリスが最強の一手を振り上げるのか! 魔王最後の瞬間か! アスタロト、ベール、アデーレ、ヤンが息を飲んで次の言葉を見守る。


 アスタロトの長い爪が手のひらに食い込むほど握られていた。青ざめたベール、ごくりと喉を鳴らしたアデーレ、ヤンは丸くなって耳を両前足で塞いでゴメン寝スタイルだ。


「プリン出して」


「どうぞ」


 そっと銀のスプーンを添えて、自分の分だったプリンを差し出す。間違えてリリスが食べないよう、こっそりリリスの口元に結界なんぞ張っていた。世のお父さんはどこまでも心配性なのだ。


 スプーンを差し入れて掬う。曇って黒くなった銀のスプーンに驚いた顔したリリスだが、そっとスプーンを差し出した。


「パパ、あーん」


「あ~ん」


 躊躇いもなく、言われるがまま腕の中の幼女に毒入プリンを食べさせてもらう魔王――絵的にどうなのか。少なくとも他の貴族には見せられない光景だった。


 舌先がちょっとピリピリするが、味はまったく問題なく美味しいプリンである。飲み込むと、次を掬ったスプーンが口元で待っていた。


「あ~んして」


「あ~ん」


 また鳳凰の毒入りピリッとプリンが、ルシファーの口の中に消える。繰り返される平和な光景に、息を飲んでいた配下は一斉に大きな溜め息を吐き出した。気が抜けてしまったというか、毒気を抜かれるとはこういう場面で使うんだろうか。


 最後の一口まで美味しくいただいたルシファーは、「ご馳走様でした。美味しかったです」と最後の晩餐を終えた心持で礼を言った。


 そして再び訪れる沈黙――。




「美味しかった? 本当?」


「本当だよ、リリスがオレのために作ってくれたプリンだぞ。不味いわけないし、本当に甘くて美味しいぞ! オレの長い人生で最高のお菓子だった!!」


 全力で褒めるルシファーがちゅっと頬にキスをする。嫌がらずに受けたリリスが、真似をするようにルシファーの頬に手を添えて、ちゅっと唇を押し当てた。


「リ、リリリリリリリ、リリス?」


 鈴虫の鳴き声のようなどもり具合を笑う余裕のある者はいない。挙動不審になったルシファーへにっこり笑ったリリスは、まるで小悪魔のようだった。後にアスタロトにそう評される満面の笑みで、彼女は無邪気に手を伸ばす。


「パパ、またリリスが作ったら食べる?」


「もちろん! パパだけに作って欲しいくらいだ」


 そうしたら今度こそ「見る用」「食べる用」「保存用」が揃う! ルシファーが全力で言い切ると、リリスが声を立てて笑った。


「……ご機嫌は麗しい、みたいですね」


 ほっとした様子のベールに、アスタロトも続く。


「ええ、このままだと陛下がショックで消滅するかと心配でしたが」


 丸くなって耳を覆っていた前足をどけ、ヤンが驚いた様子で親子を見ている。


「何が……我が君と姫は……」


 呆然とするヤンをアデーレがそっと撫でた。


「仲直りできそうですわ」


 そもそもケンカすら始まっていないのだが、先ほどの殺伐とした状況のせいで、彼らは2人が仲違いした認識になっているらしい。


「もう一回作る!」


 リリスがルシファーの腕から飛び出そうとするが、ぎゅっと抱き締めたルシファーは離さない。不思議そうな顔をしたリリスが振り返ると、顔をリリスの肩に埋めたルシファーが恐る恐る問いかけた。


「あの……パパのこと、怒ってない?」


「うん」


「じゃ……じゃあ、パパのこと好き?」


「好き」


 あっさり答えるリリスに、ほっとした様子でやっと手を離した。自由になったリリスはベンチ前の敷き煉瓦の道に下りると、侍女へ手を伸ばす。


「今度は毒ないの作る!」


「そうですね、頑張りましょうか」


 アデーレが微笑んだことで、さらに機嫌がよくなったリリスは少しずれた音階の童謡を歌いながら、先ほどの調理場へ向かった。

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