138. 我が君、お先に

 哀しそうに遠吠えする狼に根負けしたルシファーは、ここ数百年で一番のピンチに直面していた。ヤンを回収しに出向いた先で、アスタロトに捕獲され、部屋に連れ戻される。正座した状態で、目の前に立つ最強のオカンに叱られていた。



「なぜ護衛のヤンを酔わせて置いていく必要が? それにリリス嬢まで酒臭い……まさか、もう手を出したり」


「してませんっ!」


 ぴしっと敬礼つきで答える。正座した魔王の座布団はぎざぎざの石材で、さらに膝の上に大量の重石が乗せられていた。かなり痛いが、迂闊にあれこれ言おうものなら長くなる。説教を短く済ませて足を早く解放しようと、ルシファーは一切口答えをしなかった。


「ならば、彼女を酔わせた理由を説明してください」


「えっと……ヤンを酔わせてる間に、リリスが自分で」


「目を離したのですか? 好奇心が強い幼子から! 酒の席で! 周囲に酔っ払いもいたのに?!」


「す……すみませんっ」


 どこぞの国の拷問道具らしいが、とにかく足が痛い。血が通わなくなった爪先とか、本当に冷たくて痛い。ひたすら謝るルシファーの青ざめた顔色に、ようやくアスタロトは溜め息を吐いた。これがひとつの合図で、この後は少しのお説教で許される、はず。


 思わず安堵の息が漏れた。


「ルシファー様、反省が足りないようですね」


「いや……そんなことは」


「ないと言い切れますか? 早く解放されたいから口答えしないだけでしょう」


 見透かす赤い瞳に、ひっと息を詰める。どうしよう、バレてるぞ。助けを求めた視線の先で、吐きそうなヤンが口元を押さえている。獣の仕草なので可愛いのだが、そういう状況じゃなかった。


 主君、最大のピンチだ! 助けろ、ヤン! 今こそ忠義を示す時だ!!


 必死にアイコンタクトを取ろうとするが、完全に酔っ払いのヤンは遠吠えを始めた。空気を読まないフェンリルの行動に、アスタロトが切れる。


「煩いですよ、ヤン」


 ぶわっと彼の毛が逆立ち、次の瞬間、魔力ごと酒交じりの血を抜かれた。この辺は吸血種の長であるアスタロト大公の得意分野だ。虚脱感で床に潰れたヤンの大きさが元に戻った。小さく変化するために使う魔力まで抜かれたらしい。


「……うっ、気持ち悪ぃ……我が君、お先に」


 不吉な言葉を残して、ヤンは意識を手放した。


「ずるいぞ! ヤン!!」


 オレを置いて意識を失うなんてズルイ。必死に訴えたが、すでにヤンは意識を飛ばしていた。そして目の前に黒い黒い笑顔の側近が立つ。


「何に対してのズルイ発言でしょうか?」


「さ、さあ?」


「とぼけるおつもりですか」


「ごめんなさい。すみません。申し訳ないっ」


 ここは謝罪の一手で押し通す! 作戦を決めて素直に謝ったルシファーの前で腕を組んだ吸血鬼は、にっこり笑ってリリスを抱き上げた。


「何をする気だ! ……じゃなくて、ですか」


 語尾だけ言い直したルシファーの膝の上の重石に、すうすう寝息を立てる酔っ払いリリスが下ろされる。


「重っ、無理」


「おや、愛する王妃候補の娘を落とす気ですか。なんと根性のない。もう少し我慢できますよね?」


 もう痛みに言葉がなくて頷くだけの魔王に、ようやく怒りを収めたアスタロトがリリスを抱き上げ、魔力で重石をどかした。痺れを通り越して立ち上がれないルシファーが、必死に手を伸ばす。


「……何もしませんよ」


 呆れ顔で告げると、リリスをルシファーの腕に戻した。ぎざぎざの石座布団から転がった魔王は、抱っこした愛娘に頬ずりする。


「女の子に重いは禁句だったな」


 寝息を立てるリリスの額に、アスタロトの手が触れる。すっと魔力が僅かに抜けるのが見えた。驚いて目を瞠ると、側近はなんでもない事のように答える。


「酒精は子供の体に害になりますから抜きました」


「ありがとう、助かったよ。アスタロ……ト?!」


 ふわふわとアスタロトの指先に漂う赤い液体に、顔と声がひきつった。


「これで反省してくれるといいのですがね」


 動かない足でリリスを抱いた魔王に逃げる術はない。下手に逆らうと未来も怖い。強張ったルシファーへ赤い液体が注がれた。ヤンとリリスから抜いた酒と血を強制的に流し込まれ、急性中毒状態に突入したルシファーが「うっ」と呻く。


「では、おやすみなさいませ。陛下……明日は王妃候補宣言がございますので、早起きをお願いしますね」

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