222. 幼女趣味の噂を増長する言い回し

 食後に寝かしつけたリリスを、後ろ髪をぐいぐい引っ張られながら置いたルシファーは、執務室にある書類の束を無造作に魔法陣で浮かせた。ふわふわ浮かせた書類を連れて城内を移動し、当然のように私室に入る。


「これでよし」


「よくありませんが、仕方ないですね」


 やる気を削ぐぐらいなら、このまま私室で処理させよう。割り切ったアスタロトが目の前で仕分けていく書類を、ルシファーも淡々と片付けた。すでにルキフェルやベールが精査した内容を確かめながら、署名をしていく簡単そうで面倒くさい仕事だ。


 ベッドが見える位置を主張したルシファーは、私室の食事用テーブルで署名した書類を積み上げる。少し顔を上げれば、ベッドですやすや眠る愛しいお姫様の顔が見えた。


「癒されるなぁ~」


「執務室を広げて、リリス嬢のお勉強部屋を一緒にしたら、仕事がはかどりそうですね」


 いや、もしかしたらリリスにかかりっきりになって仕事をしない可能性もある。迷ったアスタロトだが、優秀な側近はすぐに解決策を思いついた。リリスに「仕事してるパパは格好いい」と笑顔を向けてもらえば、驚くほど効率が上がるはずだ。


「それ、いいな!」


「ベールと検討して可能ならば対応させていただきます」


 珍しく反対しないアスタロトに薄気味の悪さを感じながらも、同じ部屋で勉強するリリスを想像して頬が笑み崩れる。にやにやする上司に、残り少ない書類を差し出した。


「ここまで終われば、あと5日間は書類処理がありません」


 溜めに溜めた書類に終わりが見えると、やる気はさらに増す。最後の一枚に署名すると「やった!」と叫びたくなるが、愛娘を起こしてしまうので我慢して小さくガッツポーズで済ませた。不備がないか確認していたアスタロトが、機嫌よく笑顔を向ける。


「お疲れ様でした。ではお預かりしていきます。明日の予定は、早朝からリリス嬢の側近候補との顔合わせです。遅刻なさらないでくださいね」


 釘を刺しておく。初回の遅刻はなんとか誤魔化したが、毎回だと評判に関わる。アスタロトにひらひら手を振ったルシファーが立ち上がり、指パッチンで着替えを済ませた。リリスにはきちんと選んで着せるのに、自分は面倒だと3種類くらいを着回す横着振りを披露する魔王はベッドに近寄る。


 広すぎるベッドの真ん中を独占する幼女の黒髪をそっと撫でて、手前の端に滑り込んだ。一礼したアスタロトが退室した後、リリスを抱き寄せるように近づく。


「パパぁ…?」


「そうだよ、リリス」


 ぽんぽんと背を叩くと、また目を閉じて眠ってしまう。抱き着いたリリスがきゅっと服を掴んだ手が、疲れた身体と心を癒してくれた。結局、一睡もしないままでルシファーは朝を迎えた。





「……おはようございます」


 影のある美貌に挨拶するアスタロトは、呆れたと声に滲ませる。濃赤に紫を溶かしたような色合いのワンピースを着たリリスは、美しい赤珊瑚の髪飾りをつけていた。すでに着替え終えたリリスの口元に、朝食の食べ残しを見つけたルシファーが顔を近づけた。


「どうしたの」


「リリスの口元にジャムが残ってるぞ」


「ん!」


 口元を差し出すように顎を上げたリリスの口角を、ぺろっと舐めてジャムを拭う。どうみても親子じゃありませんね――アスタロトが「人前ではやめてください」と忠告した。幼女を手篭めにしたと噂されたくなければ、もう少し自重して欲しい。


「パパが好きだからさせてあげてるの!」


 リリスが得意げに胸を張る。まだ薄い胸にふくらみはなく、当然ながら反らしただけに終わった。彼女の誤解を招く言い回しや言葉遣いを直さないと、危険だとアスタロトが額を押さえる。


 今の言い方だと『大好きなルシファーだからキスを許してる』ように聞こえる。おそらくリリスの本意でいくと『ルシファーが好む方法だからキスさせてる』が正しい意味だった。


 後ろで仲良くひそひそ話をする親子を連れて、謁見の大広間に向かう。今回を含めてあと4回――自分達で練った計画だが、早く終わらないでしょうか。アスタロトと同じ悩みを抱えたベールが待つ謁見の大広間の扉は、普段より重く感じられた。

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